2023年7月29日土曜日

ご無沙汰しています

 ご無沙汰しています。特に何が、ていうわけでもないのですが、久々に投稿することにしました。僕と妻は平穏に暮らしています。

このブログもほとんど骨折ブログのようになりかけましたが、1月にプレートを取り出して以来、右手首は正常に機能しています。傷は残りましたが、これもうっかり怪我をしないようにリマインドしてくれます。

毎日、とにかく暑いですね~。今週は、マンションの前で道路工事をやっているので、とにかく工事の音がすごかったのですが、この過酷な天気の下でみなさんよく働いているなと思います。

僕は、コロナ禍以降、会社が在宅ワークへとシフトしたので、今週は月曜日だけ出社し、あとは家で仕事をしています。

実は、51才にして新たにある国家試験に挑むことにしました。法律系の国家試験です。非常に難解な試験ではあるのですが、勉強も充実しています。妻とよく相談して、挑戦することにしました。まだ気力があるし、在宅ワークになって時間も確保しやすくなったことにも後押しされました。

対策講座もオンラインで受講しています。かなり高価な講座だったのですが、会社からの補助も出たので、思い切って申し込むことにしました。

人生は、いろいろなフェーズがありますね。次のフェーズに進むときの転換点というのは、不思議な感覚になるものです。

難解な試験の勉強を始めてみて気づいたのは、仕事しながら勉強するには、何よりも、家庭が円満であることが大事である、ということです!

いろいろな心配事や悩み事を抱えていては、勉強に集中できません。ですので、世の中の男たちよ、まずは妻と子供たちを大事にしょう!そして、家族に感謝しよう!

といいつつも、僕はそれがどこまでできているのだろうか。。日々自己を省みつつ、祈りつつ、歩んでいきます。

「しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。」(第1コリント11:32)

2023年1月25日水曜日

プレートを取り出してもらいました!

久々の投稿です。

昨年の2月26日、フットサルの最中にボールを蹴ろうとしたときに滑って、真後ろに転倒し、右手首を骨折しました。そして、 3月1日に手首の折れた部分を固定するプレートを入れる手術を受けたのです。

手術から数か月は、ブログに書いた通り、リハビリが必要でしたが、夏ごろから日常生活に不自由を感じなくなる程度に直ったのです。

そして、とうとう、昨日、プレートを取り出す手術を受けました。この手術の正式名称は、「骨内挿入物除去術」といいます。

なんと、こんなものが11か月近く橈骨遠位端に取り付けられていたのです。




チタン製のプレートのようです。チタンは、軽量であり、強度も高いので、骨を固定する金属としては最適なのでしょう。

今回は担当医の勧めにより、部分麻酔で手術を受けました。全身麻酔に比べて、体への負担が少ないとのことです。

ただ、部分麻酔の場合は、手術中ずっと意識があります。

案の定、手首にメスが入れられる前は、滅茶苦茶緊張しました。手術している間に麻酔が切れたらどうしようとか、本当に痛くないのかとか、いろいろと妄想を膨らませてしまうからです。

手術室では音楽がかかっているのですが、先生がちょうど手首にメスを入れるときに、僕が好きな曲がかかったのです。BJトーマスの「雨にぬれても」でした。ですので、曲と一緒にハミングしていたら、少しだけ緊張がほぐれ、手首が開かれたこともほとんどわからずに時間が経過していきました。

ただ、痛くはないのですが、何かやっているなという実感はあります。それから、かすかにではありますが、スクリューを外しているときに回転している様子や、最後に傷を縫合している様子はなんとなく感じることはできました。まったく痛くはないのですが、かすかな感覚はあります。

自分の肩と腕の間に仕切りが設けられるので、実際に手術を行っているところは見ることはできないのですが、音は聞こえるので、大体どのあたりまで経過したかがわかります。

手術が終わった後は、すぐに二本足で立てました。ただ、ふらつく可能性もあるので、看護師さんが車いすに乗せてくれて病室まで戻りました。

手術後すぐ自宅に帰れるわけではなく、抗生剤などを打ち、次の日に傷を確認してから帰れました。

今は、当然ながら、手術後の痛みはあります。指は問題なく動かせて、今もこうしてタイピングできているのですが、手首を完全に回動させることはまだ難しいようです。

ただ、身体の回復力は、前回の手術後にも経験しているので、焦らずに徐々に元の機能を取り戻していこうと思います。

傷の抜糸は来週の水曜日になりました。抜糸して、治療は終了となります。

同じように橈骨遠位端を骨折した人たちのためになればいいなと思って、この骨折記・リハビリ記を書いてみました。というのも、僕も昨年一番痛みがひどかったときに、同じような手術を受けた人たちのブログを読んで大いに励まされたからです。

昨年の1月にプレート除去の手術を受けた俳優さんが、アメリカでプロボクサーになっていたので大変びっくりしました。

橈骨遠位端骨折 | 荒川泰次郎オフィシャルブログ「MADE IN 泰次郎」Powered by Ameba (ameblo.jp)

プロデビュー | 荒川泰次郎オフィシャルブログ「MADE IN 泰次郎」Powered by Ameba (ameblo.jp)

僕は骨折した後、もうフットサルはやめようかなと一時期弱気になっていました。また、もう50を越えているのでもう潮時かな、とも思っていました。

昨年の夏ごろにフットサルに復帰したのですが、昨年はずっと低空飛行でした。コロナ禍でメンバーが少なくなったのも影響しています。

しかし、今年に入ってからまた不思議とやる気が出てきて、ボールタッチの練習や体幹トレーニングも始めました。いつも参加している新宿中央公園の多文化共生フットサルでは、みなさん暖かく迎えてくれるし、他にも声をかけてくれるクリスチャンのフットサルの会があるので、できる限り続けようと思っています。

骨折してみて、ひとつ一つの動作を大事にするようになりました。怪我をしないようにするためにはどのように動けばよいのか、よく考えるようになりました。

それから、入院してみてよかったのは、やはり、医療従事者と接することができたことですね。なんて立派な方々なんだろうかと感動することが多かったです。

今回の手術は、最初から最後まで意識があったので、全行程を観察することができたのですが、医者とスタッフの方々とのチームワークが本当に素晴らしいですね。

手術が終わった後、みなさんからお疲れ様と言っていたただき、とても感動しました。

骨折も入院もなるべくしない方がよいと思いますが、神様はすべてのことを益としてくださると改めて思いました。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っているからです。」(ローマ人への手紙8:28)

2022年4月27日水曜日

リハビリ記④

今日は診察とリハビリのために病院に行きました。骨折したのが3月26日でしたので、2か月経ったことになります。

先生からは、もうサッカーや水泳などのスポーツをしてもよいと言われました。骨の回復は順調で、骨を固定している固定具のボルトもずれていないようです。バーベルなどの重たいものはまだもたないようにと言われました。自転車に乗ることも控えていたのですが、これも問題ないとのことでした。

次第に日常生活が回復していきます。

手首の掌屈(しょうくつ)(前に曲げる動作)と背屈(はいくつ)(後ろに曲げる動作)の角度は、まだ完全には回復していません。療法士さんがマッサージしてくれると、最大で70度ほど掌屈します。しかし普段は50度くらいしか曲がりません。標準的には、掌屈が90度、背屈が70度だそうです。下手なイラストになりますが、説明のためにトレースして書いてみました。


(参考元:
手首/手指の解剖学 – McDavid|サポータ-ブランドのマクダビッド オフィシャルサイト

手首の曲げる角度なんて今までまったく意識したことがありませんでした。妻に手首を曲げてみてと頼むと、いともたやすく角度を付けて曲げています。すごいな~と思います。

時間をかけて回復させていこうと思います。リハビリはまだ続きます。

それから、今日は握力を測りました。右手が15キロ、左手が30キロでした。50~54才の握力の平均は、46.31キロのようです。ですので、握力はかなり弱っていますね。

帰りに百円ショップに寄って、ハンドグリッパーを買ってきました。

今まではゴムボールを握って何とか握力増強に励んできたのですが、これからはこのハンドグリッパーも使います。左手は連続して30回ほどできるのですが、右手が1回やるのがやっとです。ハンドグリッパーを使ってリハビリできる段階まで来たのでちょっとうれしいです。

なお、最近はいつもこのゴムボールも持ち歩き、電車の中でも握っていました。

もし街角や電車の中でゴムボールを握っているおじさんをみかけたら、どうか変な人だと思わないでください。そのおじさんはきっと手のリハビリをしているのです(笑)。

今日も右手でこのゴムボールを握ったまま、妻がお気に入りのカフェに入りました。お店の方は、怪しむような表情を全くせずに応対してくれました。やさしいですね。

2022年4月7日木曜日

リハビリ記③

4月に入り、仕事も通常モードに戻していっています。タイピングは問題なくできているので本当にありがたいです。

今日も病院にリハビリに行きました。今日は妻が一緒についてきてくれました。

リハビリルームには僕と同じように手の骨折をしたらしいおっさんたちがいました。なんとなくお互いの様子を伺います。

療法士さんによると、しばらくは手首を前後に曲げる可動域を回復したいとのことでした。ダーツを投げるような動作が有効だということです。タオルを使って、ムチを打つような動作も行います。

僕のような症状の場合、完全に回復するまで4か月ほどかかるとのことでした。しかし、日々少しずつ回復していっているという実感があります。

帰りはブックオフにも立ち寄り、妻と一緒にゆっくりと散歩も兼ねて帰りました。夕日に照らされる桜吹雪がきれいでした。

怪我自体は残念ですが、夫婦の絆を強めてくれるという意外な効果もありました。妻のスマホの歩数計によると、行き帰りで10キロも一緒に歩いたようです。

2022年3月30日水曜日

リハビリ記②

手首の手術を受けてから一か月経ちました。今日は診察とリハビリです。病院へは歩いていきましたが、途中で桜を愛でました。


病院に行く途中にフットサルコートがあります。少年たちのプレイに見入ってしまいます。


病院に着いたら、レントゲンを撮ってから診察です。先生がおっしゃるには、骨の状態は良いとのことでした。僕も自分なりにいろいろと勉強したので、先生に疑問に思っているところを質問してみました。

橈骨遠位端骨折には、AO分類というものがあって、A1からC3まで等級があります。僕の場合、一番等級の高いC3でした。

(引用元:橈骨遠位端骨折(Colles骨折/Smith骨折)のリハビリ治療 (rehatora.net)

レントゲンを見ただけでは、症状がイマイチわからないのですが、手の骨と関節の図を見ながら先生に質問をし、やっと自分の症状を正確に把握できました。それにしても、手の骨は実に精巧にできています。

橈骨、尺骨、舟状骨、月状骨など全然知りませんでした。手首だけでもすべての骨の名称を覚えるのは大変ですね。

リハビリでは、手首が曲がる角度を測ります。療法士さんがマッサージしてくださり、もっと曲がるようになりましたが、前屈はまだ50度ほどしか曲がりません。左手は90度曲がるので、左手と同じ角度まで曲がるよう日々努力していきます。


僕としては、日常生活で結構右手を使っていたつもりですが、療法士さんからもっと右手を使いましょうと言われました。よい意味で目標ができます。

帰りに100円ショップに行き、分度器付きの定規を買いました。これで手首が曲がる角度を毎日測ろうと思います。

それから、ブックオフにも立ち寄り、昭和漫画を買ってしまいました。

なぜこういうときにボクシング漫画が読みたくなるのかわかりません。これも無意識のうちの行っているリハビリの一種でしょうか。

それから、駅の地下街にはストリートピアノが設置してあり、ピアノを少し弾いてきました。最後はケンタッキーフライドチキンを買って家に帰りました。

本日は有休をとったので、ずいぶんと道草食いながら、のんびり過ごしてしまいました。通院と言いながら、ずいぶんエンジョイしていますね。こんなんでいいのでしょうか(笑)

職場では仕事量を減らしてもらえたので、今月は、怪我のおかげというのも変ですが、余裕をもって過ごすことができました。4月からエンジンをかけて、通常の生活ペースに戻していこうと思っています。

「自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。」(箴言3章7-8節)

2022年3月21日月曜日

リハビリ記①

手首の手術を受けたのは3月1日でした。もう2週間半たちましたが、包帯とシーネもとれて、リハビリを開始しています。

療法士さんからは、手首に体重をかける、重いものをもつ、体重を引っ張り上げる懸垂みたいな動作をすること以外は何でもしてよいと言われているので、積極的に手を使っています。

もう両手でタイピングすることや、皿洗いなどもできます。僕は翻訳者なので、両手でタイピングできるようになったのはとても助かります。手術してよかったと思います。しばらくは左手でタイピングし、ワードの音声入力機能も使っていました。

何よりも徐々に自分の手が見慣れた形に戻っていくのがうれしいですね。

療法士さんからは、小さなサッカーボールを使って手首を動かす運動をやるように言われました。

こうして手首を前傾させ、

そしてまた手首を後ろに反らせます。


手首の可動領域は、左手に比べるとまだ全然動きません。前傾できる角度は5度くらいでしょうか。

後ろに反らす角度はもう少しあるようです。

また、こうしてスポンジを握る動作も繰り返します。

スムーズにグーパーできるように鍛錬しています。

僕の場合、橈骨遠位端骨折の手術後2週間半の状態がだいたいこんな感じです。回復が早いのか、あるいは遅いのかよくわかりません。

ただ、ひとつうれしかったのは、昨日ギターでアルペジオできるようになったことです。ああ、僕はまだギターを弾いていいんだなと思いました。

フットサルを再開するかどうかまだわかりません。正直言って、怖くなりました。妻は再開してもよいと言ってくれるのですが。

折しもテレビで元スマップの森君の事故後のリハビリが紹介されていました。彼の場合、4度も手術して背中にボルトを入れています。本当に凄まじいけがです。それでも、またレースに復帰しようとしていることはすごいと思います。彼は職業がレーサーなので当然かもしれません。僕も翻訳に復帰しないという選択肢はありませんでした。退院した当日に仕事に戻りました。

ただ、僕は一度手術して手首にプレート入れるだけでも、かなり消耗しました。このブログを書いているのもリハビリの一環かもしれません。なので、ここは無理をせずに、これから何をすべきか神様に訊いていこうと思います。

せっかく右手の機能が回復してきたので、これから自分の両手を自分のためばかりではなく、もう少し人のために使っていきたいなという気持ちにもなっています。

2022年3月18日金曜日

ブログは気が楽

ブログを放置していた間、ツィッターにはまっていましたが、ごく最近ブログに回帰しました。ブログは気が楽でいいですね。それはきっと、「いいね」と「リツィート」機能がないからだと思います。自分に語りかける日記のような感じで書けるのがいいですね。

ツィッターは多くの人とつながれるという利点がありますが、最近は投稿する内容にかなり気を遣うようになりました。その点、ブログは字数制限もなく、考えをまとめながらいろいろと書くことができるところがいいですね。

しばらくブログの投稿が多くなるかもしれません。いつまで続くかわかりませんが。

強者

妻が今日、東京の友人宅を訪問してきた。旦那さんがイギリス人のフォトグラファー・デザイナーであるのだけれど、僕が手首を骨折したと伝えたら、

”Oh that's nothing!"(そんなのなんでもないさ)

と答えたよう。

聞くところによると、彼は自転車乗りで、14歳の頃から4回も骨折しているとのこと。イギリスでは、骨折は男の勲章らしい。

先日、信州で山岳ガイドやっている高校時代の先輩に手首を骨折したことを伝えたら、「唾つけておけば直るよ」という激励の言葉をいただいた。

その先輩も多くの怪我を経験している。自分の自宅を自分一人で建設したという強者であるのだけれど、冬場に滑って転倒し、ボルトが脇に刺さるという大けがをしたこともある。しかも僕の結婚式の直前に起きたことだったが、何と僕の結婚式にはフラフラになりながら出席してくれた。なので、その先輩に唾つけておけば直るといわれると、笑うしかない。

世の中には、強者がいるものである。

でも、僕はもう骨折はしたくない。メンタルを結構やられたので、正直言ってかなり懲りた。僕は強者にならなくていいかな。

いつかそのイギリス人と骨折談義するのも楽しみだ。

2022年3月16日水曜日

骨折記 その④ 痛み

今日は手術を受けてからちょうど2週間経ち、抜糸してきました。完治まで3か月くらいかかるとのことです。

診察の後、理学療法士さんの指導によりリハビリを受けました。30代くらいの若い療法士さんで話がとても面白かったです。レントゲン写真を一緒に見て、今の状態を詳しく説明してくれました。

僕はまだグーを握ることができず、手首があまり動かない状態です。しかし、療法士さんは、手首を付いたり、重いものを持たない限りは、手を動かしてよいとおっしゃっていました。痛みを感じても、しばらくして収まる程度なら問題ないとのことでした。

手術が終わり、麻酔が切れた後の手の痛みはものすごいものでした。今までに経験したことのないくらいの痛みです。体にメスを入れるということはこういうことかと思いました。看護師さんも手術前に痛みがあることを教えてくれました。幸い、手術に翌日はだいぶ痛みが引きました。

手術後は手首にシーネを当てて包帯をしていたのですが、退院してからは、特に夜中にジンジンと痛みがでました。痛み止めを飲んではいるのですが、それでも夜中に痛みはでます。結局ほぼ毎晩、痛みで目が覚めてしまいました。

でも、夜中に痛みで目が覚めたとき、同じような経験をした方々のブログにひとかたならず励まされました。やはり、自分の経験を綴っておくといつか誰かの役に立つかもしれません。

昨日の夜も痛みで目が覚めましたが、2週間も痛みと付き合っていると慣れてくるものです。今はコロナ禍により在宅ワークが可能になったので、時間を調整しながら睡眠不足を補うことができます。

僕の痛みなど、今世界で痛みを感じている方々に比べれば全然大したことがありません。しかし、痛みを通して初めて学べることも多いことを思わされます。

それは、痛みは真実だということです。痛みはリアルです。

現在、ロシアがウクライナに侵攻し、世界が大変な状況になっています。それに伴い、激しい情報戦が繰り広げられ、プロパガンダも流されています。

イデオロギーにはまやかしがあります。しかし、人々の痛みには真実があります。

ニュースを見ると、ウクライナの人々の苦悶に満ちた表情を見ます。それと同時に、ロシア国内でもこの戦争に反対し、苦悩している方々がいます。

この痛みは真実なのです。偽りがありません。この痛みにこそ目を向けていかなければならないと思わされまています。

だいぶ真面目な内容になってしまいました。骨折記はとりあえずここまでにしようと思います。

骨折を機に、もう少しブログをちゃんと更新しようという気になりました。

2022年3月14日月曜日

骨折記 その③ 橈骨遠位端骨折

僕が3年も放置していたブログを再開しようと思ったのは、同じような経験をした方々のブログに励まされたからです。ツィッターは、何というか投稿内容に気を遣うところもあるのですが、ブログは日記のようなものであるので、個人的経験を書き連ねる上で気楽さのようなものがあります。

手術が終わると、目を覚ます薬を点滴を通して投与されます。名前が呼ばれて段々目を覚まします。目を開いた瞬間でしょうか。気道に入っていたチューブを抜かれます。これが痛かったです。

手術後は3時間ほど点滴を打たれれままベッドに横たわっていなければなりません。酸素マスクも口に当てられたままです。指にはオキシメータをはめられます。

僕はわりと意識がハッキリしていたので、左手で妻にメールを打ちました。

今回は、骨を固定するためのプレートを入れました。

半年後くらいにまたプレートを取り出す手術が必要になります。けっこうな大ごとなのです。このブログを読んでくださった皆様には、ぜひ僕を反面教師としていただき、手首の骨折はしないようにしていただきたいと思います。

変なことを言うようですが、僕は今回の骨折を神様に感謝しています。僕がスローダウンするためには、これしかなかったのかなとも思うのです。

もちろん、あのときはこうすればよかったとか、こうしなければよかったとか、後悔の念が沸き起こりそうになるとときはあります。しかし、不思議と今回のことを神様に感謝しようという思いが勝ったのです。自分を責めないことも大事だと思いました。予期せぬ事故は起きるものです。

病室で聖書を開いたときに、自分の状況とドンピシャの言葉が目に飛び込んできました。

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(へブル人への手紙12章11節)

右手がしばらく使えないというのは、大きな訓練でもあるのですが、このことを通して、「平安な義の実」を結べるという確信が湧いてきました。

もう一つよかったことは、これもまた変なことを言うようですが、自分が弱く無力になったことです。僕は今多くのことを妻に頼らなければ生きていけません。お風呂も一人で入れないし、食事も作れないし、皿洗いもできません。でも、これが私たち夫婦にとってよかったことのようにも思えます。今コロナ禍で人に自由に会えない中、夫婦で力合わせて生きていくことを改めて学ばされています。そして、僕も妻の気持ちに寄り添うことを学ばされているような気がします。

僕は50歳になって、これからギター、運転、フットサルの3つを頑張りたいとツィッターで生意気にも宣言していました。そしてこの3つとも見事にできなくなったのです。

少し格好つけて、不自由な手でギターを弾く動画をアップしてみたのですが、実はその後手の関節が痛くなり、ギターを弾くのは止めました。やはり、無理してはいけません。

次回の投稿では、術後の痛みについて書いてみようと思います。これはこれで考えさせられることが多かったのです。

2022年3月13日日曜日

骨折記 その② 入院

週明けに妻に付き添ってもらって、地元の病院に行きました。診察を受け、レントゲンとCTを撮ったところ、なんとその日のうちに入院することになったのです。手術は次の日に行うとのこと。先生がおっしゃるには、手首の損傷がかなり重症であることでした。

まさかここまでの重症であるとは思わなかったので、さすがに焦りました。家に帰らせてもらえず、そのまま入院になったので、上司に電話して急遽諸々の案件を引き継ぐことになりました。仕事が結構溜まっていたので、3日空けるだけでもきつかったのですが、やむなく引き継いでもらいました。

字が書けないので、入院の手続きの書類はすべて妻にかいてもらいました。

後で知ったのですが、診断名は、右橈骨遠位端骨折。全身麻酔での手術となり、正確に骨片を整復し、プレートを使ってしっかり固定するのです。

5歳くらいの時に扁桃腺を切除する手術をしたのですが、入院と手術はそれ以来でした。あまりにもの急展開に、本当にこれでよいのかと不安を抱きましたが、病室に向かっていったときに担当の看護師さんが笑顔で迎えて下さり、少し心がホッとしました。またその看護師さんが娘さんも同じ手術を受けたことを話して下さいました。

その後、担当の先生も来られ、先生の顔を見たときにやっと自分の手首をこの人にゆだねようという思いになったのです。

僕が入院した病棟は、なぜか脳神経外科病棟でした。たまたまそこの病床が空いたのかもしれません。4人部屋に入ったのですが、他の患者さんは僕より重症な方が多かったです。

入院して救われたのは、看護師のみなさんがとても明るかったことです。世の中ではコロナ禍も収束せず。世界ではロシアがウクライナに軍事進攻し、大変暗い世相となっていましたが、コロナ禍で戦場のようになっているはずの医療現場のスタッフが明るく寄り添ってくれたので、大変感動したのです。

特に僕は手術の全身麻酔の手術の経験がほとんどないため、看護師さん達のフォローにかなり励まされました。

妻が一度家に戻り、入院に必要な物をすべてバックに詰めてもってきてくれました。なんとその中には、任天堂のGame & Watchも入っていました。僕らの世代が子供の頃に流行っていたゲーム機の復刻版です。結局入院中遊ぶことはなかったのですが、その気遣いは嬉しかったです。左手だけでも意外と操作できるものなのです。

次の日、朝9時までは水を飲めたのですが、それ以降の飲食は一切禁止でした。麻酔の説明を受け、手術着に着替えて、12時40分くらいに看護師さんが迎えに来てくれました。よくドラマとかであるように、ベッドで運ばれていくのかと思いましたが、僕は、右手以外は元気だったので、手術室まで歩いていきました。

手術室のベッドに寝ると、看護師がテキパキと色々と器具等をはめていきます。呼吸を安定させるために喉にチューブを入れられるのが怖かったのですが、これは麻酔で意識を失ってから行われるということで少し安心しました。点滴を通して麻酔が体に送られていくのですが、だんだん意識が遠のいていくのが自分でもわかりした。ああ、こうやって意識を失っていくのかと思いながら、カクンと深い眠りに入っていったのです。

2022年3月8日火曜日

骨折記 その①

このブログを3年も放置している間に、50歳になってしまいました。久々に更新しようと思います。

先日、大事件が起きてしまいました。右手の手首を骨折してしまったのです。

事件は、フットサルコートで起きました。クリスチャンのフットサルの集まりに参加したのですが、久々にフットサルできる喜びでついはしゃぎ過ぎてしまい、すべって転んだ際に手首を付いて、そのまま骨折してしまったのです。

芝生に手首を付いた瞬間、ぐにゃりと曲がってしまい、すぐにまずいことなったと思いました。しかし、ゲームをストップさせるわけにもいかず、なるべく明るい顔をして離脱したのです。

かなりの激痛でしたが、みなさんとお別れして、妻と一緒にすぐ病院に向かうことにしました。この集まりのリーダーの夫妻も心配してくださり、旦那さんは手を置いて祈ってくれました。

コートから出たら、妻がたまたま「〇〇病院 24時間受付」とドアに書いてある車が通りすぎるのを見かけたのです。その病院が近くに見えたので、直行することにしました。

病院に到着すると、ほどなく診察してくださり、レントゲンを撮りました。僕は手首の捻挫かなと甘い観測を持っていたのですが、診断は骨折でした。しかも手術した方がよさそうだとお医者さんがポツッと言いました。

人生初めての骨折です。逆に50歳まで骨折しなかったのが大変ラッキーだったのかもしれません。

最初に診断してくださったお医者さんは専門外だったのですが、そのあと整形外科の先生が来てくださり、とりあえず手を引っ張って、固定してくれました。手を引っ張る前に看護師さんから覚悟はできていますかと言われた。しかし、手を引っ張られた瞬間はそれほど痛くはありませんでした。そのあとに経験する痛みに比べたら、何でもないことだったのです。このときは、まだ楽観的な気持ちでいました。

整形外科の先生からは、橈骨という前腕の親指側にある細長い骨が曲がってしまったので、手術を勧めると言われました。その病院は自宅から遠かったので、自宅の近くで病院を探すように言われ、診断書とレントゲンのデータに入ったCDを出してくれました。

その日は土曜日だったので、週明けにまた地元の病院に行くことになりました。

この時点では、僕はまだ楽観的な気持ちでした。手術といっても、内視鏡などを使って固定するような簡単なものだと思っていたのです。せいぜい一か月くらいで直るだろうと高をくくっていたのです。

次回は、地元の病院を訪ねてからの急展開について書きます。


応急処置を受けた後、自宅に戻ってから。
この時点ではまだ楽観的でした。


2019年2月3日日曜日

配管詰まりの原因となるため、トイレットペーパー以外のものは、絶対に流さないでください。


街には、多言語表示が溢れている。

先日、丸ノ内線の西新宿のトイレでふと前を見たら、以下の多言語表示があった。

JP:配管詰まりの原因となるため、トイレットペーパー以外のものは、絶対に流さないでください。
EN:Please flush the toilet paper ONLY. Other items may clog the pipe.
CN:请绝对不要將卫生纸以外的东西冲入厕所,防止堵塞排水管。
KR:배관이 막히는 원인이되므로 화장실용 화장지 이외는 절대로 변기에 버리지 마십시오.

素晴らしい訳だったので、思わず写真を撮って「捕獲」してしまった。

まずは、英訳がとても素晴らしい。

「トイレットペーパー以外のものは、絶対に流さないでください。」

を直訳すると、

「never flush anything other than toilet papers」となる。

しかし、訳者が、否定形を使わずに、肯定形にonlyを添えて、

「Please flush toilet paper ONLY.」

としたのがよい。この方が、文が引き締まる。

日本語の否定形を英訳する際に、only、no、fail to等の言葉を添えて、肯定形に訳した方がダイレクトに伝わる場合がある。

例えば、

「検出回路は故障を検出できなかった。」

のような例文の場合、

「The detection circuit could not detect the malfunction.」

とするよりも、

「The detection circuit failed to detect the malfunction.」

とした方がスッキリする。

本題の英訳では、「ONLY」を大文字表記にしたところに工夫が見られる。このような強調法も効果的だ。

また、文を2つに区切っている。使用者に一番伝えたいメッセージは、「トイレットペーパー以外は流すな」ということだから、最初の一文でこのメッセージをダイレクトに伝え、次の文でその理由を簡潔に述べたところがよい。

後半では、「もの」を「items」と訳した。これも適切な訳だ。「things」より良い。

次に推量の「may」が使用されていて、断定を避けている。原文では、「配管詰まりの原因となる」と断定しているが、英訳では、なぜ「Other items will clog the pipe」と言わずに、やや弱気に「Other items may clog the pipe」としたのだろうか。

英文では、断定や限定を避けてmayを使用することが多い。特許文書などはその典型的な例である。「Other items will clog the pipe 」としても誤訳ではないが、例えば、誰かがトイレットペーパー以外のものを流しても配管が詰まらなかった場合、「言っていることと違うじゃないか」と駅員に怒鳴り込むことも想定して、訳者はあえて「may」を使ったのだろうか。いずれにしても、かなりの上級者の訳である。

翻訳は、真っ先に予算が削られてしまうことが多い。巷では、低価格で翻訳サービスを提供する業者が多いが、素人に翻訳をやらせているところも多いだろう。発注側には、内部の工程は見えないものである。

しかし、この訳文を見ただけでも、東京メトロがきちんと予算をとって、定評のある翻訳会社に発注したのではないかと思った。

翻訳の品質は、翻訳者の力量だけで決まるものではない。翻訳コーディネーターと翻訳チェッカーも関わり、その後、DTPの工程もある。全体を管理するコーディネーターの力量も品質に大きな影響を与える。そして、これらの人々が余裕を持って仕事するためには、経営も安定していなければならない。たかがトイレの中の小さな表示といえども、多くの人が関わって仕上がっているのだ。

さて、次は、中国語訳を見てみよう。僕は、中国語に関しては、まだ初学者レベルを抜け出せていないので、大したことは言えないが、精一杯解説してみたいと思う。

まずは、英訳と中国語訳を並べて比較してみよう。

Please flush the toilet paper ONLY. Other items may clog the pipe.
请绝对不要將卫生纸以外的东西冲入厕所,防止堵塞排水管。

英語の「please」に対応する「请」が最初に置かれている。ここは英語と中国語が一対一で対応するところだ。例えば、「please give me water」は、「请给我水」となる。英語と中国語の語順が似ているとよく言われる。確かにそういうところもあるが、似て非なるところも多い。それを次に見ていく。

「绝对不要將卫生纸以外的东西冲入厕所」は、英訳よりも日本語に沿った直訳になっている。

「绝对不要」とあるが、日本語の「絶対不要」とは全く意味が違う。ここが日本人にとって難しいところだ。「不要」は、禁止や阻止を表す。なので、ここは、「絶対に~するな」という意味となる。

「将」という語も難しい。高校の漢文の授業で出てきたのを覚えている人もいるかもしれない。レ点を付けて読み下した記憶があるだろう。「将」は、介詞という品詞であり、名詞を対象になんらかの処置を加えることを表す。英語の前置詞に似ていて、日本語の助詞の「を」に対応する。

「卫生纸」は「トイレットペーパー」。「东西」は、「物や物品」という意味であり、英語の「item」に対応する。日本語の「東西」からは想像もつかない意味である。逆に、中国人は、なぜ日本語の「東西」という用語に「もの」という意味をないのだろうか不思議に思うのかもしれない。

「冲入」は、辞書(小学館)には載っていなかったが、「入れる」という意味であると理解して問題ないだろう。「厕所」は「トイレ」のこと。日本でも昔はトイレのことを「厠(かわや)」と言っていた。

この一節をリバーストランスレーションすると、

绝对不要將卫生纸以外的东西冲入厕所
絶対にトイレットペーパー以外のものをトイレに入れないでください

となる。ここまではよくわかる。しかし、僕がわからないのは、次の節とのつながりである。

「防止堵塞排水管」は、日本人であれば、大体の意味はわかるだろう。「排水管の詰まりを防止する」という意味であり、英語でいうと、「prevent the clogging of the pipe」である。

しかし、「请绝对不要將卫生纸以外的东西冲入厕所」と、「防止堵塞排水管」との間に、「in order to」 みたいな、最初の節と2つ目の節の因果関係を表すつなぎの言葉がなくて良いのだろうか?なんだかあっさり流れているようで、日本語の感覚からしても、また、英語の感覚からしても、何かが足りないような気がしてしまう。このあたりが、初学者には難しいところである。これはいつか機会があったらネイティブに尋ねてみようと思う

さて、いよいよ韓国語訳である。韓国語訳にも幾つか興味深いポイントがある。

日本語と韓国語の文法はよく似ていることは、よく知られていることだ。なぜここまで似ているのだろうかと僕は疑問に思うことがある。しかし、微妙なズレがある。そのズレ方がとても面白いのだ。
韓国語訳を検証するには、リバーストランスレーションするのが一番よいだろう。

배관이 막히는 원인이되므로 화장실용 화장지 이외는 절대로 변기에 버리지 마십시오.
配管が詰まる原因になるので、化粧室用の化粧紙以外は絶対に便器に捨てないでください。

どうだろうか。微妙なズレがある。

日本語では名詞の「配管」と動詞の「詰まる」を組み合わせて、「配管詰まり」と名詞化し、「配管詰まりの原因となるため」と書き出している。「配管が詰まる原因となるため」としてもおかしくないが、これは原文を書いた人にセンスによるものだろう。

韓国語では、「配管」と動詞の「詰まる」を組み合わせて名詞化していない。「배관(ペグワァン)」が「配管」に対応する。これは漢字語である。または、「막히다(マッキダ)」は、「詰まる」という意味。これは、日本語の「詰まる」のように固有語である。韓国語では、この2つの語を合わせて日本語のように名詞化してできないものかネットで検索してみたところ、何と、「배관 막힘(ペグワァンマッキム)」という表現があるにはあった。しかし、訳者は、きっと名詞化せずに訳した方が、文が綺麗に流れると判断したのだろう。

「トイレットペーパー」に対応する用語として、韓国語では漢字語を使用している。「化粧室用化粧紙」である。日本語は多くの外来語を取り入れているが、韓国語の方が、漢字語が温存されているという印象を受ける。「化粧紙」というと、何だか上品な感じがするのは僕だけだろうか。残りの部分は日本語とほぼ対応している。

街の中で何気なく見過ごしてしまうような多言語表示の中にも、色々な工夫と創意が詰まっている。朝、満員電車を降りて、トイレに立ち寄ったとき、ふと目にした多言語表示に同業者の心意気を感じ、爽快な気分となって職場に向かった。