2008年12月16日火曜日

十字架を担う喜び




あなたが多くの苦しみを抱えていることに私も心が痛みます。しかし、一瞬にして過ぎ去るこの人生において、私達はキリストと共に十字架を担わなければならないことをあなたは理解していることでしょう。

もうじき、私達は永遠の中に入り、苦しみも終わります。もうじき神様がご自身の御手をもって私達の涙を拭い去り、痛みもため息も永遠になくなり、キリストと共に統治をするときが来ます。

しかし、キリストと共に経験するこのつかの間の試練のとき、十字架の栄光を見失わないようにしましょう。

もし苦しみを通らなければならないのならば、静かに、謙虚に苦しみを通りましょう。私達の自我がいつも問題を実際より大きく見せるのです。しかし、自我から出る不平不満に耳を傾けてはなりません。自我によって重みを増し加えられずに、単純に十字架を担ぐことは、それほど悪いことではありません。もしイエス様を愛するが故に苦しむとすれば、十字架があるにも関わらず喜びがあるだけでなく、十字架そのものを喜びます。

愛は、最愛の方のために苦しむことを喜びとします。私達を主の似姿へと変えるこの十字架は、安息をもたらす愛の絆なのです。

From "The Cross a Source of Our Pleasure" in "Let Go", written by Fenelon