2010年1月23日土曜日

今日のデートコースは...




定番の伊勢佐木町です!
 
まずはパスに乗って伊勢佐木町に向かい、それからブックオフに行ってから妻が探していた本を探し、それから元気寿司へ。本当は「元祖寿司」という名前のお店なのですが、なぜか私達は元気寿司と呼んでいます。ここは、サービスでつぶ貝マヨネーズを100円を切る値段で出していて、これが意外とおいしいです。



 
 
それから電車に乗り、「いふり湯」へ。今日は妻がちょっと神経痛になったみたいなので、いふり湯の黒湯が効くのではないかと思い、行くことに。大体妻は長くお風呂に入っているので、僕は早目にあがってから、いつもマッサージチェアをやり、それから新聞を読んでいます。そこには、読売新聞と神奈川新聞しかないのですが、読売も意外と面白いな、とここで発見しました。
 
それはともかく、「いふり湯」も本当の名前は「いなり湯」。ここもなぜか私達はずっと勝手につけた名前で呼んでいます。なぜ、私達は素直にその店の本当の名前で呼ぼうとしないのでしょうか。こういうどうでもいいような小さいところでも一致してしまうところに、相性の良さがあり、結婚に至ったのかもしれません。
 
ところで、私達もとうとう結婚満3年を超えました。3年目に入っての実感は、まずます一緒にいて楽しくなったということです。なんというか、呼吸が合ってきたというか、生活のパターンを二人でつくりあげてきて、その基礎がほぼ完成しつつあるというフェーズに来たのかもしれません。
 
もちろん、結婚の確かな土台はやはり主イエス・キリストであることには間違いありません。
 
聖書は驚くべきことを言っています。
 
「なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子にあって造られ、御子のために造られたのです。
 
御子は万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
 
(コロサイ人への手紙1章16-17節)」
 
このイエス・キリストに結婚生活、そして人生の土台を置けば、まず間違いはないと、結婚生活4年目に入ってますます確信を深めています。
 
というわけで、これから伊勢佐木町に向かいます!


追記:
 
デートから帰ってきました。寿司もおいしく、風呂も気持ちよかった!
 
さて、今日の戦利品:



ブックオフとその他古本屋2軒を巡り、この4冊で何と総額1550円!


左から、
 
小型口語訳聖書 (皮のカバー) - 僕は口語訳がけっこう好きで、通勤で持ち運べる小型聖書を探していました。
 
三谷幸喜著 気まずい二人 - 妻は三谷幸喜の本にはまっています。
 
三浦綾子著 イエス・キリストの生涯 - 良さそうなので買いました。
 
ロイドジョンズ著 詩篇73篇 附ハバクク書講解 - これは貴重な本だと思い買いました。何と1971年発行。僕が生まれた年です。正しき者の苦しみという、深いテーマを取り上げています。

2010年1月4日月曜日

神の愛を忘れるほどまでに自分の欠点に失望しないように




自分の欠点を気にしすぎないようにしてください。それよりも、イエス様に対する尽きぬ愛をもつことに集中しましょう。多く愛する者は多く赦されます(ルカ7:47)。しかし、愛そのものよりも、愛の気持ちよさ、自己中心的なワクワク感(これらは愛の副産物です)を追い求める傾向に気をつけなければなりません。わたしたちは、簡単に自分を欺いてしまいます。「愛」に集中するあまり、重要なポイントを完全に見逃すことがあります。あなたは最愛の方その人よりも、愛に心を奪われていると、聖フランシスコ・サレジオは言いました。もしわたしたちの愛の主な対象がイエスであるならば、わたしたちはイエスの愛にすっぽりと包まれます。しかし、イエスの愛を確かめようといつも気を揉んでいるとすれば、まだ自我に囚われているのです。


イエスの霊を通して、平安の内に自分の欠点を見つめるとき、イエスの愛の神秘の中でそれは消えていきます。しかし、イエスがわたしたちを愛してくださっていることを忘れて、自分の欠点に気をとられるとき、わたしたちは落ち着きを失い、神の臨在が妨げられ、神の愛の流れが堰きとめられます。自分の欠点を恥ずかしく思うあまり、神の愛を忘れてしまうならば、そのことが欠点そのものよりも大きな間違いとなり得ます。ですから、自分の欠点に失望しすぎないようにしましょう。先日次のような人に会いました。その人は、ある聖徒の物語を読んだ後、自分の人生との違いに腹が立ち、献身的なクリスチャン生活を歩むことを諦めてしまいました。この人のようにはならないでください。
 
あなたからの手紙を読むとき、その筆跡から平安と自由伝わってきて、それだけあなたが忠実に歩んでいることがわかります。あなたがより平安に満ち、より自由であるほど、あなたは神により近いようです。

From "Letter 13 - Despair at Our Imperfections Is a Grater Obstable Than the Imperfection Itself" in "Let Go", written by Fenelon