大分前に書いた記事の続きになります。
ヤコブがべテルで築いた石の柱は何を意味してたのでしょうか。
「翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上の油を注いだ。創世記28章18節)」
枕にしていた石ですから、それほど大きくないでしょう。せいぜい、幅が30-40センチ、長くても50センチ程度かと想像します。
それを「立てた」と記載されてありますが、ヤコブが石に何か彫り物したとか、何か加工を施したとか、そういったことは記載されていません。
何の変哲もない石がただ立っていたのです。
なので、事情を何も知らない人が通りかかったら、「なぜここで石が立っているのだろう」と思うほかは、何か格別な感動を受けるような光景でもなかったかもしれません。
しかし、聖書では、ここがまぎれもなく最初に「神の家」として記載されています。
石といえば、連想するのはやはりキリストです。
「主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。(第一ペテロ2章4節)」
主が「家」を建てるとき、それは人の建て方とは本質的に違うようです。