僕が3年も放置していたブログを再開しようと思ったのは、同じような経験をした方々のブログに励まされたからです。ツィッターは、何というか投稿内容に気を遣うところもあるのですが、ブログは日記のようなものであるので、個人的経験を書き連ねる上で気楽さのようなものがあります。
手術が終わると、目を覚ます薬を点滴を通して投与されます。名前が呼ばれて段々目を覚まします。目を開いた瞬間でしょうか。気道に入っていたチューブを抜かれます。これが痛かったです。
手術後は3時間ほど点滴を打たれれままベッドに横たわっていなければなりません。酸素マスクも口に当てられたままです。指にはオキシメータをはめられます。
僕はわりと意識がハッキリしていたので、左手で妻にメールを打ちました。
今回は、骨を固定するためのプレートを入れました。
半年後くらいにまたプレートを取り出す手術が必要になります。けっこうな大ごとなのです。このブログを読んでくださった皆様には、ぜひ僕を反面教師としていただき、手首の骨折はしないようにしていただきたいと思います。変なことを言うようですが、僕は今回の骨折を神様に感謝しています。僕がスローダウンするためには、これしかなかったのかなとも思うのです。
もちろん、あのときはこうすればよかったとか、こうしなければよかったとか、後悔の念が沸き起こりそうになるとときはあります。しかし、不思議と今回のことを神様に感謝しようという思いが勝ったのです。自分を責めないことも大事だと思いました。予期せぬ事故は起きるものです。
病室で聖書を開いたときに、自分の状況とドンピシャの言葉が目に飛び込んできました。
「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(へブル人への手紙12章11節)
右手がしばらく使えないというのは、大きな訓練でもあるのですが、このことを通して、「平安な義の実」を結べるという確信が湧いてきました。
もう一つよかったことは、これもまた変なことを言うようですが、自分が弱く無力になったことです。僕は今多くのことを妻に頼らなければ生きていけません。お風呂も一人で入れないし、食事も作れないし、皿洗いもできません。でも、これが私たち夫婦にとってよかったことのようにも思えます。今コロナ禍で人に自由に会えない中、夫婦で力合わせて生きていくことを改めて学ばされています。そして、僕も妻の気持ちに寄り添うことを学ばされているような気がします。
僕は50歳になって、これからギター、運転、フットサルの3つを頑張りたいとツィッターで生意気にも宣言していました。そしてこの3つとも見事にできなくなったのです。
少し格好つけて、不自由な手でギターを弾く動画をアップしてみたのですが、実はその後手の関節が痛くなり、ギターを弾くのは止めました。やはり、無理してはいけません。
次回の投稿では、術後の痛みについて書いてみようと思います。これはこれで考えさせられることが多かったのです。
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