2007年12月26日水曜日

バラとイヤリング



先週買ったバラがとても元気に咲いている。うちの食卓に「華」をあたえている。


昨日は、早目に会社を出て、クリスマスプレゼントを買いに行った。ジュエリーショップに行ったらこのイヤリングが目にとまった。ちょっとだけ派手だけれど、色合いが質素なところが良いと思った。
 
JOYが喜んでくれた。

2007年12月22日土曜日

昨日買ったバラ


昨日帰りがけに、横浜駅にある花屋さんでバラを2輪買った。
 
JOYが喜んでくれた。

悩み

このブログのタイトルはLiving with Joyである。つまり、喜びをもって生活するというタイトルだ。僕の妻JOYと一緒に生活をするということもかけている。
 
だから、日常生活のいろいろな喜びを紹介するのが目的だ。
 
しかし、現実には僕には実に悩みが多い。その悩みは、仕事上の人間関係、それから仕事量の多さだ。
 
業務の大変さに対応し切れず、また社内でのコミュニケーションも何だかうまくいかない。自分が何かおかしいのだろうか、社会がおかしいのだろうか。
 
最近ずっととりかかっていた仕事が一段落したのだが、かなり残業をして対応したにも関わらず、途中で人間関係がギクシャクし、ミスもでてしまった。
 
昨日、帰りの電車の中で空しさが心を覆った。
 
何のために頑張ったのか。
 
しかし、少なくとも家族を養うことはできている。
 
社会ではいろいろな困難があるけれど、妻との生活はとても楽しい。
 
僕は、ときどき自分は人として何か致命的な欠陥があるのではないかと悩むときがあるが、JOYはそんなことないよといつも言ってくれる。
 
とても良い妻だ。
 
このブログではもっとかっこよいことを書きたかった。
 
でもこれがありのままの真実だ。

2007年12月20日木曜日

JOYも残業

昨日は忘年会。今日も、前から片付けたいと思っていた仕事を片付け、つい遅くなってしまった。

JOYも今日は残業!今翻訳の仕事をやっているのだが、遅くまでかかってしまったみたいだ。

僕らももうすぐ寝る時間。明日もがんばろう!

2007年12月16日日曜日

今日もホッとする休日


今日もレイト・レイト・ブレクファースト(もうお昼ご飯の時間を過ぎていた)で至福のホットケーキがでてきた。僕がギターを弾いている間にJOYがつくってくれた。ソーセージと一緒に食べて、とてもおいしかった。
 
夕方5時ごろ、JOYは陶芸教室の忘年会に参加するためにお出かけ。僕は家でずっとテレビを見て、8時40分ごろにJOYのお迎えするために、陶芸教室に向かった。
 
陶芸教室に着くと、先生と生徒さん達がとても楽しそうに話をしていた。結局僕も加わって、結構いろいろな話をしてしまった。お酒も日本酒を飲んでしまった。これが意外とおいしかった。
 
11時半ごろにおいとまし、いふり湯に向かった。いふり湯は夜中の1時まで営業しているのだ。男湯は貸切状態だった。
 
とても平和でホッと一息をつける一日だった。

2007年12月11日火曜日

HAPPY BIRTHDAY

風の便りで、このブログの愛読者、もぷぷさんが今日誕生日であることを聞いた。

おめでとう!

今年が良い一年となるようにJOYちゃんとお祈りしています。

2007年12月9日日曜日

日々の葛藤と癒し

日々の葛藤を人は一体どこへもっていけばよいのだろうか。

それはやはり家庭ではないだろうか。

子供のときは父と母。そして結婚したら、伴侶に。

しかし、家庭が修羅場となったとき、人は一体どこの自分の葛藤や悩みをもっていけばよいのだろうか。

しばらく前に、JOYが古本屋で「アダルト・チルドレン」という本を買ってきてくれたのだが、この本の中で、社会をさまよい、遊郭で働くようになるあるアダルト・チルドレンの女性のエピソードがあった。彼女のお客さんには、なぜか社会的に地位の高い男性が多かった。以下はこの本からの引用である:

 お客は心の部分を私に求めてきていたと思う。私はそういうところでお客さんをつくっていったのかもしれない。『君しか言えない』『だれにも言えない』と男が愚痴をこぼしていく。相手はみんな社会の上層部にいるから、私は何か社会の”影武者”みたいになった気分だった」

 テレビに顔を出す有名な評論家や政治家は、「この場所で君といるときが一番ホッとする。何もしなくていいから、もう一時間いさせてくれ」と、三万円を余計に払っていく。企業の重役や高級官僚が愚痴をこぼす。「家もいるところがなくて寂しいよ」「出生してここまできたのに家族は自分に無関心で」

 幸い、この女性はその後、この仕事からも抜け出し、結婚をするのだが、僕はこの本を読んでいて、上に引用した箇所がとても印象に残った。実際に多くの男達がただ、肉体的な関係だけではなく、心がホッとする場所を求めて、遊郭にいくというのが、今の日本の現実なのかもしれない。しかも、社会的に地位のある男性達が。

 しかし、本来男達が重荷をおろすべき場所は家庭なのだ。家庭でこそ癒され、戦場に戻る準備を整えられるはずなのだ。

 もうひとつ、印象の残るドラマを先日見た。女子囚人を扱ったドラマだった。泉ピン子が演じる主人公は、父親の介護と家族の面倒を見る中で疲れ果て、ついパート先で知り合った男性と浮気をしてしまう。夫は会社が倒産し、その後タクシーの運転手になって家庭を支えるのだが、妻の心にまで配慮する余裕がなくなる。そこで、妻はつい、自分を女性としてみてくれた男性に心を動かされてしまうが、この浮気は夫に知られてしまう。夫は、激しく妻を責めるのだが、そのとき妻が夫に言ったせりふがとても印象的だった。

自分も女もであり、女として見てもらうことことが大事だった。そして夫に女として扱ってほしかったと。

僕自身、このドラマを見て、夫婦の関係の中で、妻を女としてみて、女として扱い、女としての幸せを与えることがどれだけ大切かを学んだような気がした。

実際、このドラマに登場する多くの女子囚人は、夫との何らかのトラブルが犯罪の引き金となっていった。

女性が男性に求める愛情も、そう、本来は家庭の中で受けられるものなのだ。

幸い、このドラマでは、夫がガンを宣告され、その後、妻にもう一度やり直そうという手紙を書くところで終わっている。

男性が男性として必要なもの。そして、女性が女性として必要なもの。本来神様は、家庭の中でその必要が満たされるように、家族を創られた。ところが、現代社会では、男も女も家庭では必要が満たされずに、他の場所でその必要を満たそうとして探した結果、いろいろな悲劇が起こってしまう。

それでは、なぜ家庭が壊れるのか。なぜ家庭は癒しの場ではなく、修羅場となってしまうのか。

それは、家庭をそもそも創ってくださった神様から人が離れたからではないだろうか。家庭において、神の権威を認めず、夫と妻がそれぞれ自分勝手に振舞ってきた結果、家庭が破壊されてきたのではないだろうか。

そして、多くの現代人が家庭という癒しと回復の場を喪失し、漂流を続け、多くの悲劇が起きているのではないだろうか。

この現状を見て、最も心を痛めているのは、他でもない、天の父であろう。

そして、天の父は、ご自身に立ち返る道を備えるために、ご自身の御子であられるイエス・キリストをこの世に遣わされた。

イエス様は、この地上を歩まれたとき、この世で癒しの場を喪失し漂流する罪人達を深く哀れまれ、、ご自分の下に来て、「重荷をおろすように」と招かれた。

願わくば、この時期、慈しみ深きイエスを通して、多くの癒しの場が再生されますように。

2007年12月6日木曜日

納品

最近はずっと、仕事でビデオカメラのマニュアルの外国語版を制作にかかりっきりだったが、今日やっと最後のモデルの英語、ロシア語、フランス語、トルコ語版を完成させた。このモデルは、納期がきつく、作業がとてもしんどくて毎日残業続きだった。
 
明日の朝、納品だ。
  
来週からは夜はちゃんと帰って、JOYと一緒に食事をしたい。
 
この前、早く帰れるように教会でお祈りしてもらった。
 
ところで、最近このブログも1日10人くらいアクセスする日がある。
  
もしかして、全員もぷぷさん?1日10回もアクセスしているの?

2007年12月5日水曜日

古き友人からの贈り物


先週突然、大学時代の友人Yからメールがあり、りんごを送るから住所を教えてくれとのこと。
 
そうして、日曜日にりんごが送られてきた。JOYは大JOYだった。
 
この真っ赤なりんごの色を見ていると、何だか愛を感じるな。
 
Y、ありがとう!

2007年12月2日日曜日

夕飯は「まきな丼」と大根の味噌汁


今日(といっても今午前1時近くなので、本当は昨日)の夕飯は「まきな丼」と大根の味噌汁。
 
近所の公園と住宅地をぶらぶら散歩してから帰りに寄ったスーパーでまぐろのさしみが半額になっていたので買ってきた。家に帰ってきて、テレビを見ていたら、まぐろとキムチと納豆を混ぜ合わせた丼物が紹介されていたので、うちでもやってみることにした。ちょうど冷蔵庫の中にはキムチと納豆が入っていた。JOYがうまく混ぜ合わせてくれ、かくして「まきな丼」は出来上がった。
 
これがまたおいしかった!ちなみに大根の味噌汁は僕がつくった。
 
食事の後、しばらくごろごろしてからまた夫婦で銭湯「いふり湯」へ。
 
心も身体もとても休まる良い一日だった。
 
奥さん、ありがとう!
 
天のお父様、ありがとう!

2007年12月1日土曜日

まったき信頼



もしわたしたちが真に神につながっているならば、わたしたちは神に、「わたしを自由にお使いください」と差し出し、神を信頼せねばなりません。明日のことに心を奪われてはなりません。その必要がないからです。神がそこにおられるのです。

わたしたちの修道会では、食べ物がないからとかベットが足りないからと言って、だれかを拒絶したことは一日たりともありません。それでも数千人の人びとと向き合っています。わたしたちのところには五万三千人のハンセン病患者がいますが、だれ一人として追い出された人はいません。わたしたちは月給も収入もありません。何もないのです。自由にいただき、自由に差し出すのです。これは実にすばらしい神の贈り物です。

神の摂理への信頼は、神がわたしたちを必ず助けてくださるという、強い生き生きとした信仰です。神がわたしたちを助けることがおできになるというのは確かです。神は全能だからです。そして、実際に助けてくださるということも確かです。聖書のたくさんのことばの中で、神はそう約束なさっているからです。神は限りなく約束に忠実なお方です。

キリストは、この信頼をもつようにと、わたしたちを励ましておられます。「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」。使途聖パウロも、すべてを与えてくださる主に私達の心配をゆだねるようにと命じています。神はその御子をあらゆる希望とともにお造りにくださったのですから。わたしたちを心にかけてくださらないはずがありません。聖アウグスチヌスはこう言います。「神は、あなたのために悪を引き受けてくださいます。そのような神があなたのために良きものを与えてくださることを疑えるはずがないのです。」

このようにして、鳥や花でさえも守られるか神の愛の摂理に、わたしたちは信頼するようにと招かれているのです。そうです、鳴き叫ぶからすの子を養ってくださる神、蒔くことも刈ることもせず、倉に取り入れることもしない鳥を養ってくださる神、野の花をあのように美しく装ってくださる神、そのような神が、自らに似せて造られ、自らの子どもにしてくださった人間を、もっと心にかけてくださらないはずがありません。わたしたちは、その愛の中にあって、神の似た者、神の子どもとして生活し、その戒めを守り、そして神を信頼するようにと招かれているのです。

わたしは、労働を事務的なものにしたくありません。いつまでもそれは愛の労働でありたいのです。神がわたしたちを苦悩に陥れることはけっしてないという、まったき信頼のうちに生きるのです。キリストのことばを信じなさい。何よりもまず、神の国を求めるのです。そうすれば、その他のものはすべて添えて与えられるのです。

主よ あなたの十字架とご復活のうちに見いださせてください
 
耐え忍んでゆく道を
 
日常の苦悩と葛藤の中にあって、日々死んでいく道を
 
その死によって
 
より豊かに創造的に生きることができるように

主よ、あなたは忍耐強く そして謙虚に受け入れられました

十字架とそのご受難のすべての苦しみを
 
そして それと同時に 人生の拒絶を

どうか わたしたちを助け

日々の痛みと葛藤を受け入れさせてください
 
成長のための機会として
 
あなたに似た者になるための機会として

あなたがわたしたちを必ず支えてくださるという信頼のうちに

忍耐と勇気をもって それらを受け取ることができますように

マザーテレサのことば
サンパウロ刊行「祈りー信頼の源へ」より

至福のホットケーキ




これはホットケーキというのだろうか。それともパンケーキというのだろうか。Wikipediaで見たら、どちらも間違いではないとのこと。アメリカでは他にgriddlecakesかflapjacksと呼ぶそうだ。

それはともかく、今日はレイト・ブレクファーストで、JOYがまたホットケーキをつくってくれた。一週間納期に追われながら過ごしてきたサラリーマンにとって、この休日に妻と一緒に食べるレイト・ブレクファーストが至福のとき。

ホットケーキと熱いコーヒーとソーセージ。ステレオから流れるクリスマス音楽。今日はJOYがエイミー・グラントのクリスマスCDをかけた。

そして妻の笑顔。

一週間の労苦が報われ、ホットする瞬間。