2013年7月29日月曜日

主の取り扱い

主の取り扱いは、ときには激しく、その渦中にいるときは、なぜ自分にこのようなことが起こっているのかわからないほどです。しかし、主が私達を取り扱われるということは、それが私達にとって確実に必要なのだからです。

数ヶ月に及ぶときもあるでしょうか。しかし、主が自分を取り扱われているのだなとやっと気づくとき、少しホッとしますね。これも聖霊が気づかせてくださることです。

主の取り扱いは、まさしく主の愛です。ただし、それは私達人間が望む「愛」とは明らかに性質の違う「聖い愛」です。その深さに気づくまで時間がかかるときもあります。

2013年5月20日月曜日

石の柱

大分前に書いた記事の続きになります。

ヤコブがべテルで築いた石の柱は何を意味してたのでしょうか。

「翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上の油を注いだ。創世記28章18節)」

枕にしていた石ですから、それほど大きくないでしょう。せいぜい、幅が30-40センチ、長くても50センチ程度かと想像します。

それを「立てた」と記載されてありますが、ヤコブが石に何か彫り物したとか、何か加工を施したとか、そういったことは記載されていません。

何の変哲もない石がただ立っていたのです。

なので、事情を何も知らない人が通りかかったら、「なぜここで石が立っているのだろう」と思うほかは、何か格別な感動を受けるような光景でもなかったかもしれません。

しかし、聖書では、ここがまぎれもなく最初に「神の家」として記載されています。

石といえば、連想するのはやはりキリストです。

「主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。(第一ペテロ2章4節)」

主が「家」を建てるとき、それは人の建て方とは本質的に違うようです。

この世を愛してはならない

この世を愛してはならない、と主が言われたことを今日はなぜか帰りがけに思い起こさせられた。

「この世」とは一体何か。これはとても深い意味がある。主イエスは、なぜ、一見この世にまみれていたザーカイに対しては一言も叱責せず、反対にこの世から離れているように振舞っていたパリサイ人たちを痛烈に叱責したのか。

ここがやっかいなところである。「この世」の本質をクリスチャンは知る必要がある。

一方で、この世にあって「ふつう」に生きることはとても大事なことだと思う。実は、これがとても難しいのだ。

「この世」にありながら、「この世」から自由になる。これがクリスチャンの本来の生き方ではないか。

「この世」を愛さずに、神と隣人を愛するのである。

2013年2月26日火曜日

就職

やっと就職できた。実は先週から働き始めている。

新しい職場は、外資系のISO審査機関だ。そこで翻訳と通訳を担当することになった。今は新しい職場に慣れるので精一杯だ。

ついこの間まで、倉庫で3ヶ月働いていたわけだが、今度はがらりと環境が変わってしまった。

僕自身、この変化についていけていない部分もある。

しかし、何はともあれ、41才で再就職できたのはよかった。何よりも妻が泣いて喜んだので、これは大きかった。

2013年2月11日月曜日

良い現場

このブログで書いてきたように、僕は今「日雇派遣労働者」をやっている。というより、「まだやっている」といった方がよいかもしれない。

最近は、月曜日と火曜日は新山下にある倉庫で働いて、週の残りは川崎にある倉庫に行く、というパターンになりつつある。僕らは、仕事があるときは呼ばれて、仕事がないときは呼ばれない。いわゆる、雇用の調整弁なのだ。

いろいろな現場を渡り歩くことになるのだが、面白いもので、非常にぴりぴりした雰囲気の現場もあれば、わきあいあいとした現場もある。ちょっとだれていような現場もあれば、全体的なびしっと締まっている現場もある。

僕の見方では、適度に締まっていながらもわきあいあいとした現場が一番生産性が高いように思える。しかし、それは僕の好みの問題でもあるかもしれない。

「非常にピリピリした雰囲気の現場」に入った日は、結構大変だ。なぜなら、ピリピリした人がたくさんいるからだ。みなさんとても忙しそうで、いろいろと気を使う。仕事を間違えると当然怒られる。仕事を間違えないためにも、いろいろと質問しなければならないのだが、質問するタイミングを間違えたりすると、それはそれですごく嫌がられる場合がある。かといって、自分で判断して勝手に事を進めたりすると、それも怒られてしまう。とにかく、「非常にピリピリした雰囲気の現場」は、とても大変なのだ。

その反面、「適度に締まっているわきあいあいとした現場」に入ると、現場の担当者は、仕事をとても丁寧に教えてくれるし、全体的な雰囲気がわきあいあいとしているので、あれこれ質問もしやすい。また、ちょっとした失敗をしても、周りがフォローしてくれたりすることもある。わきあいあいとした現場では、みなさん、お互いフォローし合うことによって生じるコミュニケーションも楽しんでいる。なので、仕事が効率よくスムーズに進み、充実感もある。

しかし、ある意味、『非常にピリピリした雰囲気の現場』を経験したからこそ、『適度に締まっているわきあいあいとした現場』が感謝できるのだ。いつも「適度に締まっているわきあいあいとした現場』に入ってしまっていたら、いつまでも身につかない仕事もきっとあるだろう。また、『適度に締まっているわきあいあいとした現場』をつくっている人達は、実は『非常にピリピリした雰囲気の現場』を経験してきた人たちなのかもしれない。

だから、実は『非常にピリピリした雰囲気の現場』も、『適度に締まっているわきあいあいとした現場』も、どちらも自分にとっては「良い現場」なのだろう。どちらも有益なのだ。

今日は、「わきあいあいとしたエリア」に入ることができた。これは不思議なもので、同じフロアの中でもなぜか『ピリピリしたエリア』と『わきあいあいとしたエリア』があるのだ。

たまたま、同じ派遣会社の大学生が、僕が先週入った「ピリピリしたエリア』に入ることになってしまった。休憩時間中に、ものすごく辛いと言っていて、ちょっとかわいそうだった。

僕も先週はそこで辛い思いをしたよ、と伝えたら、そこから発展して、いろいろと話ができた。彼にとっても、この経験が益となることを祈りたい。

2013年1月18日金曜日

就職活動

僕は現在、就職活動中だ。

41才で就職活動なので、かなり大変だ。

前に勤めていた会社を辞めると決意した後、正直に言って次の職場はわりと簡単に見つかると思っていた。自分のキャリアやスキルにそれなりに自信をもっていたのだ。

ところが、蓋を開けてみると、大変苦戦することになった。9月から就職活動を開始したのだが、既に20社くらいは不採用となっている。

理由としては、年齢と転職回数の多さがひっかかっているらしい。

僕は大学卒業後、かなり転々とした。韓国で英語の講師をした後、帰国して英会話学校、コンサルティング会社、翻訳会社などといろいろなところでの仕事を経験した。また、合間をアルバイトでつなぐことも多く、引越屋、警備員、倉庫内作業などをしている。

今は倉庫内作業のアルバイトをしながら、企業に応募しては試験を受けたり面接をする、ということを繰り返しているのだが、正直疲れてきた。

しかし、不思議なもので、もうだめだと思ったときに道が開けたりするものだ。1996年に大学を卒業して以来、僕の人生はいつもそうだった。

大学卒業後、僕は当時韓国に渡って日本語講師になることを計画していた。しかし、雇用してくれる学校は見つからず、そのまま僕は就職浪人となってしまい、大卒フリーターになってしまった。

そして、引越屋、警備員、工事現場作業員、語学学校事務などをアルバイトを約一年半した後、ようやく韓国で英語を教える仕事が与えられたのだ。

当時、転々とアルバイトをする生活もかなり精神的に厳しく、当時ノイローゼに近い状態ななった。

あるとき、引越屋でトラックの誘導をしていたとき、僕の誘導ミスでトラックを家の門に突っ込ませてしまい、その門がひん曲がってしまった。

運転手さんに、何をやっているのだと怒られ、目の前がまっくらになった。当時若かったので、保険のことなどがわからなかった僕は、自分の責任で弁償しなくてはならないのではないか、と思い込んでしまった。

結局運転手さんが会社に電話して、会社の保険で修理することになったのだが、僕はとても絶望的な気分になった。

大学を卒業して、就職もままならず、アルバイトでも事故を起こしてしまう。なんと惨めなことか。

ところがだ。惨めで絶望的な気持ちになって、空き地でたまたま聖書を開いたとき、詩篇の103編が僕の目の中の飛び込んできた。

 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 私のうちにあるすべてのものよ。
 聖なる御名をほめたたえよ。
 わがたましいよ。主をほめたたえよ。
 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
 主はあなたのすべての咎を赦し、
 あなたのすべての病をいやし、
 あなたのいのちを穴から購い、
 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
 あなたの一生を良いもので満たされる。
 あなたの若さは、わしのように新しくなる。

これを読んで、心がパーッと明るくなったのを今でもよく覚えている。状況は変わらなくても、なぜかこのことばが心の中にストンと落ちたのだ。

そのあといろいろと紆余曲折を経て、アルバイトで大変な思いもする中、ある日一枚のFAXが届いた。教会の友人を通して、韓国の地方都市にある語学学校で英語講師を求めているという連絡が来たのだ。

突如として道が開かれたのには、僕も大変びっくりした。当時はとにかく、韓国で生活して韓国語を覚えたいという強い願いがあったので、その願いがとうとうかなえられたことにむしろ驚いてしまったのだ。

そして、26歳で韓国に渡ることになったのだが、韓国で過ごした1年は僕の人生の中でもとても貴重な一年となった。

さて、今41才にしてまた人生の谷間を歩くことになったのだが、人生の谷間においても、いろいろな人に出会うわけで、それはそれで益となっている。とても面白い人もいれば、とても大変な人もいる。

来週も一社面接がある。妻はこの会社にかなり期待しているようだ。どうなるかわからないが、疲れている中でも、主の良くしてくださったことを何一つ忘れることなく、前に向かって歩いていこう。

2013年1月13日日曜日

神の家

少し唐突ですが、「神の家」について少し書きます。

「神の家」に対するビジョンを最初に啓示されたのは、他ならぬヤコブでした。

モーゼやダビデも「神の家」に対して並々ならぬ情熱を抱いていましたが、旧約聖書で一番最初に「神の家」を「見た」のはヤコブなのです。

それは、とても有名な箇所で、旅の途中、ヤコブが夢の中で天に届く梯子とその梯子を上り下りしている天使達をみて、主に語られた後のことです。

「彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家ほかならない。ここは天の門だ。」(創世記28章17節)」

ここから伺い知ることができるのは、神の家は天の門である。すなわち、天と地をつなぐ梯子が掛かっている場所である、といえるかと思います。

これは、とてもすごいことです。そして、そのすごいことを実に平凡な兄弟姉妹の間で実現されているのは、もっとすごいことだと思います。

「ふたりでも、三人でも、わたしの名において集まる所には、私もその中にいるからです。」

2013年1月6日日曜日

結婚記念日

ちなみに、実は今日は結婚記念日だ。今日で結婚7年目に突入する。

昨年は、それなりに羽振りがよかったので、港の見える丘公園にあるレストランでフランス料理を食べたが、今年は経済的に厳しいので、ピザを注文し、家にある梅酒を飲んで、慎ましく結婚記念日を祝った。

でも、それはそれでよかった。

なぜなら、妻と一緒にいろいろと話ができたからだ。この6年を振り返って、楽しかったことや辛かったことを話し合った。

結婚というものは、人によって違うだろうけれども、僕にとっては、なんだか親友と毎日合宿しているようで、結構楽しい。

けんかもするけれど、それはそれであとで笑えるような思い出になる。

ただし、今はアルバイトでつないでいるので、生活が厳しく、妻にとても辛い思いをさせてしまっている。妻もよく耐えているものだ。

実は、僕たちが結婚した当初も、僕は格好良く言うと「フリーランス翻訳者」だったが、実質的にはほとんど失業中の身だった。

しかし、妻はそのことをまったく意に介さなかった。

妻と付き合い始めたとき、僕は35歳。当時、そのとき勤めていた翻訳会社をくびになったばかり。僕はひどい挫折感を抱いていた。

学生の頃は、「キリスト者学生会」という(略称でKGK。ちょっと怪しい響きだが。。)プロテスタント系聖書研究会に所属し、かなり熱心に打ち込んでいた。聖書を熱心に読み、キリスト教の活動にも気合を入れて望み、良きクリスチャンになるべく、日々精進していた。

しかし、妻に出会った当時、僕はいろいろな事情で、いわゆる「所属教会」がない身となっていた。そのころ、他のクリスチャンから「教会はどこに行っているのですか」と尋ねられると、答えに窮したものだった。

自分は、この世においても、キリスト教世界のおいても駄目だった。当時そのようなひどい挫折感を抱いていた。

そして、そのことを当時付き合っていたころの妻に言ったところ、妻は、

「Williamくんは、そんなことで終わる人ではない」

と言ってくれたのだ。

今までそんなことを言ってくれた女性は一人もいなかったので、僕は彼女と結婚したのだろう。もちろん、美人で一緒にいて楽しい、というのもあったのだが。

まあ、それはそれとして、結婚した後、アルバイトで2ヵ月ほどつないだあと、僕は奇跡的にある翻訳会社で雇用されることになる。そして、この翻訳会社には5年5ヶ月勤めることになる。

5年5ヶ月、生活は安定し、本当にいろいろなことをすることができ、とても祝福された結婚生活を送ることができた。

昨年の10月に事情があって退職することになったのだが、今こうして日雇いで倉庫などで働いている僕に妻は毎日お弁当をつくって支えてくれる。

状況はどうであれ、こうして二人でいれることはとても幸せなことだ。そして、今日の結婚記念日も、たとえ食事が出前ピザだったとしても、僕にとってはスペシャルなものだった。

でも、一方でこのままじゃ、妻に申し訳ないな、という気持ちもある。だから、その辺は頑張るつもりだ。

41才、人生を考える

ブログを続けるということは、結構大変なことだ。

自分のブログを人に紹介をしておきながら、人が読んでいると思うと、思ったことを素直に書けなくなったりする。それで、ずっと更新しないまま放置した状態になったりする。

なので、今度はじめたブログは、あまり人には宣伝せず気ままに書いてみようと思う。4つ目のブログになる。

また新しいブログを始めようと思ったのは、妻が新しいブログを始めたいと言い出したからだ。それで、妻に触発されて、妻が実行に移す前に僕がこうして新しいブログを始めてしまった。

いつまで続くかわからない。もしかしたら、また途中で続かずに途絶えてしまうかもしれない。

しかし、あまり人に宣伝はしないつもりだから、そのへんは気楽にやっていこうと思う。

タイトルは、「41才、人生を考える」。

41才の男が人生について、どれだけのことを知っているだろうか。

僕は、いろいろな仕事を経験してきて、今はアルバイトでつないでいる身。主に日雇いで倉庫などで働いている。前の仕事は、翻訳会社で翻訳コーディネーターだった。

今までに旅した国は、アメリカ、フィリピン、韓国、イスラエル、中国。韓国には20代の頃、一年間住んでいた。

ごく簡単に略歴を書いてみたが、こういう男が、人生について何か語ることができるだろうか。いや、大したことは語れない。僕の人生は、ある意味、挫折に満ちていて、世界をぐるぐる回りながら、何とか這いつくばって前に少しだけ進んできたようなものだ。しかし、2007年に結婚できたのは本当によかった。結婚して僕の人生は少しまともになったと思う。

不思議なもので、人はやはり、不特定多数の人達に向かって、何か言ってみたくなるものだ。自分という存在がこの世にあり、自分のいろんな思いを他者と共有したいものだ。だからこそ、ブログだとかツィッターだとかが流行るのだろう。

しかし、困ったことに、自由に自分が思ったことをいろいろと披露してしまうと、こんなことを書いてしまってよかったものだろうか、人に無用な心配を与えてしまわないかと悩んでしまう。それで、結局当たり障りのない内容ばかりになってしまう。人のことはわからないが、少なくとも、僕はそうだ。

なので、あまり人に宣伝しないこのブログで、いろいろと自分の中で溜まった思いやらを書いてみようと思う。これもまた妙なことだけれど。

「41才、人生を考える」といっても、あまり大したことは書けないだろう。

しかし、「大した」こととは何か。それは、やはりひとつだけであろう。

ソロモン王が伝道者の書で述べた結びのことば、

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」

結局、人生はこのことに尽きる。