2022年3月30日水曜日

リハビリ記②

手首の手術を受けてから一か月経ちました。今日は診察とリハビリです。病院へは歩いていきましたが、途中で桜を愛でました。


病院に行く途中にフットサルコートがあります。少年たちのプレイに見入ってしまいます。


病院に着いたら、レントゲンを撮ってから診察です。先生がおっしゃるには、骨の状態は良いとのことでした。僕も自分なりにいろいろと勉強したので、先生に疑問に思っているところを質問してみました。

橈骨遠位端骨折には、AO分類というものがあって、A1からC3まで等級があります。僕の場合、一番等級の高いC3でした。

(引用元:橈骨遠位端骨折(Colles骨折/Smith骨折)のリハビリ治療 (rehatora.net)

レントゲンを見ただけでは、症状がイマイチわからないのですが、手の骨と関節の図を見ながら先生に質問をし、やっと自分の症状を正確に把握できました。それにしても、手の骨は実に精巧にできています。

橈骨、尺骨、舟状骨、月状骨など全然知りませんでした。手首だけでもすべての骨の名称を覚えるのは大変ですね。

リハビリでは、手首が曲がる角度を測ります。療法士さんがマッサージしてくださり、もっと曲がるようになりましたが、前屈はまだ50度ほどしか曲がりません。左手は90度曲がるので、左手と同じ角度まで曲がるよう日々努力していきます。


僕としては、日常生活で結構右手を使っていたつもりですが、療法士さんからもっと右手を使いましょうと言われました。よい意味で目標ができます。

帰りに100円ショップに行き、分度器付きの定規を買いました。これで手首が曲がる角度を毎日測ろうと思います。

それから、ブックオフにも立ち寄り、昭和漫画を買ってしまいました。

なぜこういうときにボクシング漫画が読みたくなるのかわかりません。これも無意識のうちの行っているリハビリの一種でしょうか。

それから、駅の地下街にはストリートピアノが設置してあり、ピアノを少し弾いてきました。最後はケンタッキーフライドチキンを買って家に帰りました。

本日は有休をとったので、ずいぶんと道草食いながら、のんびり過ごしてしまいました。通院と言いながら、ずいぶんエンジョイしていますね。こんなんでいいのでしょうか(笑)

職場では仕事量を減らしてもらえたので、今月は、怪我のおかげというのも変ですが、余裕をもって過ごすことができました。4月からエンジンをかけて、通常の生活ペースに戻していこうと思っています。

「自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。」(箴言3章7-8節)

2022年3月21日月曜日

リハビリ記①

手首の手術を受けたのは3月1日でした。もう2週間半たちましたが、包帯とシーネもとれて、リハビリを開始しています。

療法士さんからは、手首に体重をかける、重いものをもつ、体重を引っ張り上げる懸垂みたいな動作をすること以外は何でもしてよいと言われているので、積極的に手を使っています。

もう両手でタイピングすることや、皿洗いなどもできます。僕は翻訳者なので、両手でタイピングできるようになったのはとても助かります。手術してよかったと思います。しばらくは左手でタイピングし、ワードの音声入力機能も使っていました。

何よりも徐々に自分の手が見慣れた形に戻っていくのがうれしいですね。

療法士さんからは、小さなサッカーボールを使って手首を動かす運動をやるように言われました。

こうして手首を前傾させ、

そしてまた手首を後ろに反らせます。


手首の可動領域は、左手に比べるとまだ全然動きません。前傾できる角度は5度くらいでしょうか。

後ろに反らす角度はもう少しあるようです。

また、こうしてスポンジを握る動作も繰り返します。

スムーズにグーパーできるように鍛錬しています。

僕の場合、橈骨遠位端骨折の手術後2週間半の状態がだいたいこんな感じです。回復が早いのか、あるいは遅いのかよくわかりません。

ただ、ひとつうれしかったのは、昨日ギターでアルペジオできるようになったことです。ああ、僕はまだギターを弾いていいんだなと思いました。

フットサルを再開するかどうかまだわかりません。正直言って、怖くなりました。妻は再開してもよいと言ってくれるのですが。

折しもテレビで元スマップの森君の事故後のリハビリが紹介されていました。彼の場合、4度も手術して背中にボルトを入れています。本当に凄まじいけがです。それでも、またレースに復帰しようとしていることはすごいと思います。彼は職業がレーサーなので当然かもしれません。僕も翻訳に復帰しないという選択肢はありませんでした。退院した当日に仕事に戻りました。

ただ、僕は一度手術して手首にプレート入れるだけでも、かなり消耗しました。このブログを書いているのもリハビリの一環かもしれません。なので、ここは無理をせずに、これから何をすべきか神様に訊いていこうと思います。

せっかく右手の機能が回復してきたので、これから自分の両手を自分のためばかりではなく、もう少し人のために使っていきたいなという気持ちにもなっています。

2022年3月18日金曜日

ブログは気が楽

ブログを放置していた間、ツィッターにはまっていましたが、ごく最近ブログに回帰しました。ブログは気が楽でいいですね。それはきっと、「いいね」と「リツィート」機能がないからだと思います。自分に語りかける日記のような感じで書けるのがいいですね。

ツィッターは多くの人とつながれるという利点がありますが、最近は投稿する内容にかなり気を遣うようになりました。その点、ブログは字数制限もなく、考えをまとめながらいろいろと書くことができるところがいいですね。

しばらくブログの投稿が多くなるかもしれません。いつまで続くかわかりませんが。

強者

妻が今日、東京の友人宅を訪問してきた。旦那さんがイギリス人のフォトグラファー・デザイナーであるのだけれど、僕が手首を骨折したと伝えたら、

”Oh that's nothing!"(そんなのなんでもないさ)

と答えたよう。

聞くところによると、彼は自転車乗りで、14歳の頃から4回も骨折しているとのこと。イギリスでは、骨折は男の勲章らしい。

先日、信州で山岳ガイドやっている高校時代の先輩に手首を骨折したことを伝えたら、「唾つけておけば直るよ」という激励の言葉をいただいた。

その先輩も多くの怪我を経験している。自分の自宅を自分一人で建設したという強者であるのだけれど、冬場に滑って転倒し、ボルトが脇に刺さるという大けがをしたこともある。しかも僕の結婚式の直前に起きたことだったが、何と僕の結婚式にはフラフラになりながら出席してくれた。なので、その先輩に唾つけておけば直るといわれると、笑うしかない。

世の中には、強者がいるものである。

でも、僕はもう骨折はしたくない。メンタルを結構やられたので、正直言ってかなり懲りた。僕は強者にならなくていいかな。

いつかそのイギリス人と骨折談義するのも楽しみだ。

2022年3月16日水曜日

骨折記 その④ 痛み

今日は手術を受けてからちょうど2週間経ち、抜糸してきました。完治まで3か月くらいかかるとのことです。

診察の後、理学療法士さんの指導によりリハビリを受けました。30代くらいの若い療法士さんで話がとても面白かったです。レントゲン写真を一緒に見て、今の状態を詳しく説明してくれました。

僕はまだグーを握ることができず、手首があまり動かない状態です。しかし、療法士さんは、手首を付いたり、重いものを持たない限りは、手を動かしてよいとおっしゃっていました。痛みを感じても、しばらくして収まる程度なら問題ないとのことでした。

手術が終わり、麻酔が切れた後の手の痛みはものすごいものでした。今までに経験したことのないくらいの痛みです。体にメスを入れるということはこういうことかと思いました。看護師さんも手術前に痛みがあることを教えてくれました。幸い、手術に翌日はだいぶ痛みが引きました。

手術後は手首にシーネを当てて包帯をしていたのですが、退院してからは、特に夜中にジンジンと痛みがでました。痛み止めを飲んではいるのですが、それでも夜中に痛みはでます。結局ほぼ毎晩、痛みで目が覚めてしまいました。

でも、夜中に痛みで目が覚めたとき、同じような経験をした方々のブログにひとかたならず励まされました。やはり、自分の経験を綴っておくといつか誰かの役に立つかもしれません。

昨日の夜も痛みで目が覚めましたが、2週間も痛みと付き合っていると慣れてくるものです。今はコロナ禍により在宅ワークが可能になったので、時間を調整しながら睡眠不足を補うことができます。

僕の痛みなど、今世界で痛みを感じている方々に比べれば全然大したことがありません。しかし、痛みを通して初めて学べることも多いことを思わされます。

それは、痛みは真実だということです。痛みはリアルです。

現在、ロシアがウクライナに侵攻し、世界が大変な状況になっています。それに伴い、激しい情報戦が繰り広げられ、プロパガンダも流されています。

イデオロギーにはまやかしがあります。しかし、人々の痛みには真実があります。

ニュースを見ると、ウクライナの人々の苦悶に満ちた表情を見ます。それと同時に、ロシア国内でもこの戦争に反対し、苦悩している方々がいます。

この痛みは真実なのです。偽りがありません。この痛みにこそ目を向けていかなければならないと思わされまています。

だいぶ真面目な内容になってしまいました。骨折記はとりあえずここまでにしようと思います。

骨折を機に、もう少しブログをちゃんと更新しようという気になりました。

2022年3月14日月曜日

骨折記 その③ 橈骨遠位端骨折

僕が3年も放置していたブログを再開しようと思ったのは、同じような経験をした方々のブログに励まされたからです。ツィッターは、何というか投稿内容に気を遣うところもあるのですが、ブログは日記のようなものであるので、個人的経験を書き連ねる上で気楽さのようなものがあります。

手術が終わると、目を覚ます薬を点滴を通して投与されます。名前が呼ばれて段々目を覚まします。目を開いた瞬間でしょうか。気道に入っていたチューブを抜かれます。これが痛かったです。

手術後は3時間ほど点滴を打たれれままベッドに横たわっていなければなりません。酸素マスクも口に当てられたままです。指にはオキシメータをはめられます。

僕はわりと意識がハッキリしていたので、左手で妻にメールを打ちました。

今回は、骨を固定するためのプレートを入れました。

半年後くらいにまたプレートを取り出す手術が必要になります。けっこうな大ごとなのです。このブログを読んでくださった皆様には、ぜひ僕を反面教師としていただき、手首の骨折はしないようにしていただきたいと思います。

変なことを言うようですが、僕は今回の骨折を神様に感謝しています。僕がスローダウンするためには、これしかなかったのかなとも思うのです。

もちろん、あのときはこうすればよかったとか、こうしなければよかったとか、後悔の念が沸き起こりそうになるとときはあります。しかし、不思議と今回のことを神様に感謝しようという思いが勝ったのです。自分を責めないことも大事だと思いました。予期せぬ事故は起きるものです。

病室で聖書を開いたときに、自分の状況とドンピシャの言葉が目に飛び込んできました。

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(へブル人への手紙12章11節)

右手がしばらく使えないというのは、大きな訓練でもあるのですが、このことを通して、「平安な義の実」を結べるという確信が湧いてきました。

もう一つよかったことは、これもまた変なことを言うようですが、自分が弱く無力になったことです。僕は今多くのことを妻に頼らなければ生きていけません。お風呂も一人で入れないし、食事も作れないし、皿洗いもできません。でも、これが私たち夫婦にとってよかったことのようにも思えます。今コロナ禍で人に自由に会えない中、夫婦で力合わせて生きていくことを改めて学ばされています。そして、僕も妻の気持ちに寄り添うことを学ばされているような気がします。

僕は50歳になって、これからギター、運転、フットサルの3つを頑張りたいとツィッターで生意気にも宣言していました。そしてこの3つとも見事にできなくなったのです。

少し格好つけて、不自由な手でギターを弾く動画をアップしてみたのですが、実はその後手の関節が痛くなり、ギターを弾くのは止めました。やはり、無理してはいけません。

次回の投稿では、術後の痛みについて書いてみようと思います。これはこれで考えさせられることが多かったのです。

2022年3月13日日曜日

骨折記 その② 入院

週明けに妻に付き添ってもらって、地元の病院に行きました。診察を受け、レントゲンとCTを撮ったところ、なんとその日のうちに入院することになったのです。手術は次の日に行うとのこと。先生がおっしゃるには、手首の損傷がかなり重症であることでした。

まさかここまでの重症であるとは思わなかったので、さすがに焦りました。家に帰らせてもらえず、そのまま入院になったので、上司に電話して急遽諸々の案件を引き継ぐことになりました。仕事が結構溜まっていたので、3日空けるだけでもきつかったのですが、やむなく引き継いでもらいました。

字が書けないので、入院の手続きの書類はすべて妻にかいてもらいました。

後で知ったのですが、診断名は、右橈骨遠位端骨折。全身麻酔での手術となり、正確に骨片を整復し、プレートを使ってしっかり固定するのです。

5歳くらいの時に扁桃腺を切除する手術をしたのですが、入院と手術はそれ以来でした。あまりにもの急展開に、本当にこれでよいのかと不安を抱きましたが、病室に向かっていったときに担当の看護師さんが笑顔で迎えて下さり、少し心がホッとしました。またその看護師さんが娘さんも同じ手術を受けたことを話して下さいました。

その後、担当の先生も来られ、先生の顔を見たときにやっと自分の手首をこの人にゆだねようという思いになったのです。

僕が入院した病棟は、なぜか脳神経外科病棟でした。たまたまそこの病床が空いたのかもしれません。4人部屋に入ったのですが、他の患者さんは僕より重症な方が多かったです。

入院して救われたのは、看護師のみなさんがとても明るかったことです。世の中ではコロナ禍も収束せず。世界ではロシアがウクライナに軍事進攻し、大変暗い世相となっていましたが、コロナ禍で戦場のようになっているはずの医療現場のスタッフが明るく寄り添ってくれたので、大変感動したのです。

特に僕は手術の全身麻酔の手術の経験がほとんどないため、看護師さん達のフォローにかなり励まされました。

妻が一度家に戻り、入院に必要な物をすべてバックに詰めてもってきてくれました。なんとその中には、任天堂のGame & Watchも入っていました。僕らの世代が子供の頃に流行っていたゲーム機の復刻版です。結局入院中遊ぶことはなかったのですが、その気遣いは嬉しかったです。左手だけでも意外と操作できるものなのです。

次の日、朝9時までは水を飲めたのですが、それ以降の飲食は一切禁止でした。麻酔の説明を受け、手術着に着替えて、12時40分くらいに看護師さんが迎えに来てくれました。よくドラマとかであるように、ベッドで運ばれていくのかと思いましたが、僕は、右手以外は元気だったので、手術室まで歩いていきました。

手術室のベッドに寝ると、看護師がテキパキと色々と器具等をはめていきます。呼吸を安定させるために喉にチューブを入れられるのが怖かったのですが、これは麻酔で意識を失ってから行われるということで少し安心しました。点滴を通して麻酔が体に送られていくのですが、だんだん意識が遠のいていくのが自分でもわかりした。ああ、こうやって意識を失っていくのかと思いながら、カクンと深い眠りに入っていったのです。

2022年3月8日火曜日

骨折記 その①

このブログを3年も放置している間に、50歳になってしまいました。久々に更新しようと思います。

先日、大事件が起きてしまいました。右手の手首を骨折してしまったのです。

事件は、フットサルコートで起きました。クリスチャンのフットサルの集まりに参加したのですが、久々にフットサルできる喜びでついはしゃぎ過ぎてしまい、すべって転んだ際に手首を付いて、そのまま骨折してしまったのです。

芝生に手首を付いた瞬間、ぐにゃりと曲がってしまい、すぐにまずいことなったと思いました。しかし、ゲームをストップさせるわけにもいかず、なるべく明るい顔をして離脱したのです。

かなりの激痛でしたが、みなさんとお別れして、妻と一緒にすぐ病院に向かうことにしました。この集まりのリーダーの夫妻も心配してくださり、旦那さんは手を置いて祈ってくれました。

コートから出たら、妻がたまたま「〇〇病院 24時間受付」とドアに書いてある車が通りすぎるのを見かけたのです。その病院が近くに見えたので、直行することにしました。

病院に到着すると、ほどなく診察してくださり、レントゲンを撮りました。僕は手首の捻挫かなと甘い観測を持っていたのですが、診断は骨折でした。しかも手術した方がよさそうだとお医者さんがポツッと言いました。

人生初めての骨折です。逆に50歳まで骨折しなかったのが大変ラッキーだったのかもしれません。

最初に診断してくださったお医者さんは専門外だったのですが、そのあと整形外科の先生が来てくださり、とりあえず手を引っ張って、固定してくれました。手を引っ張る前に看護師さんから覚悟はできていますかと言われた。しかし、手を引っ張られた瞬間はそれほど痛くはありませんでした。そのあとに経験する痛みに比べたら、何でもないことだったのです。このときは、まだ楽観的な気持ちでいました。

整形外科の先生からは、橈骨という前腕の親指側にある細長い骨が曲がってしまったので、手術を勧めると言われました。その病院は自宅から遠かったので、自宅の近くで病院を探すように言われ、診断書とレントゲンのデータに入ったCDを出してくれました。

その日は土曜日だったので、週明けにまた地元の病院に行くことになりました。

この時点では、僕はまだ楽観的な気持ちでした。手術といっても、内視鏡などを使って固定するような簡単なものだと思っていたのです。せいぜい一か月くらいで直るだろうと高をくくっていたのです。

次回は、地元の病院を訪ねてからの急展開について書きます。


応急処置を受けた後、自宅に戻ってから。
この時点ではまだ楽観的でした。