2011年4月24日日曜日

すべての希望は主イエスに!


最も困難で不可能なもの。

それは、「自分」ほかならないことを、ここ数日痛感させられています。

自我の塊のような「自分」。罪に簡単におびき寄せられる「自分」。

この「自分」を見れば見るほど、暗闇の中に沈んでいきます。しかし、その暗闇の淵から目を上げて、主イエス・キリストの十字架の死と復活を見るとき、そこには、この「自分」を完全に呑み込んでしまうような栄光の輝きがあります。

この「自分」は主イエスと共に十字架につけられ、そして、主イエスと共に生きるものとされた。

これは何と素晴しいことでしょうか。

この「自分」にはまったく希望はありませんが、主イエスにはすべての希望があります!

2011年4月17日日曜日

心を裂いて祈る

最近ずっと心に突き刺さっている聖書のことばがある。

主は言われる、
「今からでも、あなたがたは心をつくし、
断食と嘆きと、悲しみとをもってわたしに帰れ。
あなたがたは衣服ではなく、心を裂け」。
あなたがたの神、主に帰れ。
主は恵みあり、あわれみあり、
怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、
災いを思いかえされるからである。
(ヨエル書2章12-14節、口語訳)

今、日本の歴史が始まって以来の未曾有の艱難の中、クリスチャンにはまさに心を「裂いて」祈ることが求められているのだと思う。

2011年4月5日火曜日

Wさんの訪問

今日はWさんが突然昼に会社を訪れてきた。Wさんは僕が勤めている会社の元従業員で、かつてDTPスペシャリストとして働いていた。今はホテルで洗い場の仕事をしている。

60歳近い年齢で、若い人のスピードにはついていけず、また外国人でもあるために日本語にハンデがあった。Wさんの立場があまりにも弱すぎた。会社の業績が下降線をだどったとき、無情にもリストラの対象になってしまった。2年前のことである。

昨日電話をもらっていたが、まさか会社まで来るとは僕も思っていなかった。Wさんが会社に姿をあらわすと、かつての同僚達が集まって大変喜んでいた。Wさんは大変な人気者だったのだ。

ひととおりみんなに挨拶したあと、僕はWさんと中目黒川沿いへ散歩しに行った。七分咲きの桜を愛でながら、ジュースを飲んでイカ焼きを食べ、いろいろと話をした。

いろいろと会社も揺さぶられている中、僕も今日は妙に気が塞いでいたので、Wさんの突然の訪問はとても大きな恵みであり、慰めだった。

みんなも、たくましく、しかし柔和に生きているWさんにきっと励まされたのだと思う。