2019年2月3日日曜日

配管詰まりの原因となるため、トイレットペーパー以外のものは、絶対に流さないでください。


街には、多言語表示が溢れている。

先日、丸ノ内線の西新宿のトイレでふと前を見たら、以下の多言語表示があった。

JP:配管詰まりの原因となるため、トイレットペーパー以外のものは、絶対に流さないでください。
EN:Please flush the toilet paper ONLY. Other items may clog the pipe.
CN:请绝对不要將卫生纸以外的东西冲入厕所,防止堵塞排水管。
KR:배관이 막히는 원인이되므로 화장실용 화장지 이외는 절대로 변기에 버리지 마십시오.

素晴らしい訳だったので、思わず写真を撮って「捕獲」してしまった。

まずは、英訳がとても素晴らしい。

「トイレットペーパー以外のものは、絶対に流さないでください。」

を直訳すると、

「never flush anything other than toilet papers」となる。

しかし、訳者が、否定形を使わずに、肯定形にonlyを添えて、

「Please flush toilet paper ONLY.」

としたのがよい。この方が、文が引き締まる。

日本語の否定形を英訳する際に、only、no、fail to等の言葉を添えて、肯定形に訳した方がダイレクトに伝わる場合がある。

例えば、

「検出回路は故障を検出できなかった。」

のような例文の場合、

「The detection circuit could not detect the malfunction.」

とするよりも、

「The detection circuit failed to detect the malfunction.」

とした方がスッキリする。

本題の英訳では、「ONLY」を大文字表記にしたところに工夫が見られる。このような強調法も効果的だ。

また、文を2つに区切っている。使用者に一番伝えたいメッセージは、「トイレットペーパー以外は流すな」ということだから、最初の一文でこのメッセージをダイレクトに伝え、次の文でその理由を簡潔に述べたところがよい。

後半では、「もの」を「items」と訳した。これも適切な訳だ。「things」より良い。

次に推量の「may」が使用されていて、断定を避けている。原文では、「配管詰まりの原因となる」と断定しているが、英訳では、なぜ「Other items will clog the pipe」と言わずに、やや弱気に「Other items may clog the pipe」としたのだろうか。

英文では、断定や限定を避けてmayを使用することが多い。特許文書などはその典型的な例である。「Other items will clog the pipe 」としても誤訳ではないが、例えば、誰かがトイレットペーパー以外のものを流しても配管が詰まらなかった場合、「言っていることと違うじゃないか」と駅員に怒鳴り込むことも想定して、訳者はあえて「may」を使ったのだろうか。いずれにしても、かなりの上級者の訳である。

翻訳は、真っ先に予算が削られてしまうことが多い。巷では、低価格で翻訳サービスを提供する業者が多いが、素人に翻訳をやらせているところも多いだろう。発注側には、内部の工程は見えないものである。

しかし、この訳文を見ただけでも、東京メトロがきちんと予算をとって、定評のある翻訳会社に発注したのではないかと思った。

翻訳の品質は、翻訳者の力量だけで決まるものではない。翻訳コーディネーターと翻訳チェッカーも関わり、その後、DTPの工程もある。全体を管理するコーディネーターの力量も品質に大きな影響を与える。そして、これらの人々が余裕を持って仕事するためには、経営も安定していなければならない。たかがトイレの中の小さな表示といえども、多くの人が関わって仕上がっているのだ。

さて、次は、中国語訳を見てみよう。僕は、中国語に関しては、まだ初学者レベルを抜け出せていないので、大したことは言えないが、精一杯解説してみたいと思う。

まずは、英訳と中国語訳を並べて比較してみよう。

Please flush the toilet paper ONLY. Other items may clog the pipe.
请绝对不要將卫生纸以外的东西冲入厕所,防止堵塞排水管。

英語の「please」に対応する「请」が最初に置かれている。ここは英語と中国語が一対一で対応するところだ。例えば、「please give me water」は、「请给我水」となる。英語と中国語の語順が似ているとよく言われる。確かにそういうところもあるが、似て非なるところも多い。それを次に見ていく。

「绝对不要將卫生纸以外的东西冲入厕所」は、英訳よりも日本語に沿った直訳になっている。

「绝对不要」とあるが、日本語の「絶対不要」とは全く意味が違う。ここが日本人にとって難しいところだ。「不要」は、禁止や阻止を表す。なので、ここは、「絶対に~するな」という意味となる。

「将」という語も難しい。高校の漢文の授業で出てきたのを覚えている人もいるかもしれない。レ点を付けて読み下した記憶があるだろう。「将」は、介詞という品詞であり、名詞を対象になんらかの処置を加えることを表す。英語の前置詞に似ていて、日本語の助詞の「を」に対応する。

「卫生纸」は「トイレットペーパー」。「东西」は、「物や物品」という意味であり、英語の「item」に対応する。日本語の「東西」からは想像もつかない意味である。逆に、中国人は、なぜ日本語の「東西」という用語に「もの」という意味をないのだろうか不思議に思うのかもしれない。

「冲入」は、辞書(小学館)には載っていなかったが、「入れる」という意味であると理解して問題ないだろう。「厕所」は「トイレ」のこと。日本でも昔はトイレのことを「厠(かわや)」と言っていた。

この一節をリバーストランスレーションすると、

绝对不要將卫生纸以外的东西冲入厕所
絶対にトイレットペーパー以外のものをトイレに入れないでください

となる。ここまではよくわかる。しかし、僕がわからないのは、次の節とのつながりである。

「防止堵塞排水管」は、日本人であれば、大体の意味はわかるだろう。「排水管の詰まりを防止する」という意味であり、英語でいうと、「prevent the clogging of the pipe」である。

しかし、「请绝对不要將卫生纸以外的东西冲入厕所」と、「防止堵塞排水管」との間に、「in order to」 みたいな、最初の節と2つ目の節の因果関係を表すつなぎの言葉がなくて良いのだろうか?なんだかあっさり流れているようで、日本語の感覚からしても、また、英語の感覚からしても、何かが足りないような気がしてしまう。このあたりが、初学者には難しいところである。これはいつか機会があったらネイティブに尋ねてみようと思う

さて、いよいよ韓国語訳である。韓国語訳にも幾つか興味深いポイントがある。

日本語と韓国語の文法はよく似ていることは、よく知られていることだ。なぜここまで似ているのだろうかと僕は疑問に思うことがある。しかし、微妙なズレがある。そのズレ方がとても面白いのだ。
韓国語訳を検証するには、リバーストランスレーションするのが一番よいだろう。

배관이 막히는 원인이되므로 화장실용 화장지 이외는 절대로 변기에 버리지 마십시오.
配管が詰まる原因になるので、化粧室用の化粧紙以外は絶対に便器に捨てないでください。

どうだろうか。微妙なズレがある。

日本語では名詞の「配管」と動詞の「詰まる」を組み合わせて、「配管詰まり」と名詞化し、「配管詰まりの原因となるため」と書き出している。「配管が詰まる原因となるため」としてもおかしくないが、これは原文を書いた人にセンスによるものだろう。

韓国語では、「配管」と動詞の「詰まる」を組み合わせて名詞化していない。「배관(ペグワァン)」が「配管」に対応する。これは漢字語である。または、「막히다(マッキダ)」は、「詰まる」という意味。これは、日本語の「詰まる」のように固有語である。韓国語では、この2つの語を合わせて日本語のように名詞化してできないものかネットで検索してみたところ、何と、「배관 막힘(ペグワァンマッキム)」という表現があるにはあった。しかし、訳者は、きっと名詞化せずに訳した方が、文が綺麗に流れると判断したのだろう。

「トイレットペーパー」に対応する用語として、韓国語では漢字語を使用している。「化粧室用化粧紙」である。日本語は多くの外来語を取り入れているが、韓国語の方が、漢字語が温存されているという印象を受ける。「化粧紙」というと、何だか上品な感じがするのは僕だけだろうか。残りの部分は日本語とほぼ対応している。

街の中で何気なく見過ごしてしまうような多言語表示の中にも、色々な工夫と創意が詰まっている。朝、満員電車を降りて、トイレに立ち寄ったとき、ふと目にした多言語表示に同業者の心意気を感じ、爽快な気分となって職場に向かった。