2016年8月6日土曜日

初めと終わり

きゅうりの葉っぱが黄色くなってきました。もう寿命であると教会のKさんとNさんがおっしゃっていました。
 
 
これがおそらく最後の実となりそうです。
 
 
植えつけてから、3ヶ月足らずでしたが、小さな苗を植えつけて、それがぐんぐん育ち、つるがどんどん上に登ってっていき、そしてたくさんの実がなり、そして、少しづつ衰えていく姿は、おおげさなことをいうようですが、人の一生を見ているようでした。
 
この生命のサイクルを経験していくことにこそ、農業の1つの楽しみがあるのではないかと思わされます。
 
また、物事には初めと終わりがあることを改めて教えられたような気がします。
 
もうじきプランターから引っこ抜かなければなりません。かびなどが生えているかもしれないので、土をシートの上に出して、しばらく日光に当てる必要があるようです。
 
次は、何を植えようか、考えているところです。
 
「イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自身の権威をもってお定めになっています。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれると、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1章8節)

2016年6月25日土曜日

こんなに大きくなりました

植え付けから一ヶ月半。きゅうりの苗がこんなに大きくなりました。

 
このように、見事に実がなっています。

 
先週、Nさんが友達を連れてくれました。隣できゅうりを支えています。

毎朝、きゅうりの生長を見るととても励まされます。

植えつけたときは、こんなに小さい苗でした。


実を結ぶ喜びを教えられているような気がします。
 

2016年5月29日日曜日

きゅうりの生長

植え付けから2週間。きゅうりの苗がだいぶ生長しました。
 

 


昨日、下から6節目までの葉っぱの脇芽を摘み取りました。


早くも、右側の苗に5センチほどの実がついています。

毎朝出勤前に水をあげているのですが、その生長ぶりにとても励まされます。

2016年5月22日日曜日

植え付けから約一週間

きゅうりを植えつけてから、約一週間たちました。

支柱を立てて、ネットも貼りました。早くもつるが巻きついています。

 
 
 
一週間後あたりに、株の生長を早めるため、わきに出た若芽をかき取る予定です。

 
 

2016年5月21日土曜日

ベランダ農業

先週から、ベランダできゅうりの栽培を始めました。

ホームセンターできゅうりの苗を買い、コンテナに2株植えました。




 成長がとても楽しみです。

この世で打ち叩かれても

この世で打ち叩かれても

それによってキリストに近づくことができれば

それは良いことである

この世でほめられても

それによってキリストから遠ざかって

高慢になるならば

それはとても悪いことである

KY BROTHERS Opening Act, May 23rd, 2015


昨年から、M兄弟と「KY BROTHERS」というカントリーゴスペルユニットを始めました。これは、あるお店で、前座として出させていただいたときの映像です。

2016年1月15日金曜日

主の喜び

 
年が明けてから、ネヘミヤ書を読んでいました。

ユダの民がバビロンに捕囚された後、ダニエルが預言した70年の歳月が経ち、民は帰還して、神殿を建て、その後52日間という驚異的な速さで城壁も再建しました。

そして、会衆一同が広場に集まって律法を読み上げるときがありました。

律法のことばを聞いたとき、民は泣き出しました。きっと、自分達のあり様と神の律法との違いに愕然として悲しくなったのだと思います。

でも、そんな彼らに、ネヘミヤがこう語り掛けました。

「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です。」(8章10節)

何とやさしいことばでしょうか。この日は、長い捕囚の後、民が回復された日であるということができると思います。

「主を喜ぶことはあなたがたの力です」という一節は、英語の聖書(NASB)を見ると「the Joy of the Lord is your strength.」となっています。これを直訳すると、「主の喜びは、あなたの力です。」となります。

年明けにピリピ人への手紙も読んでいたのですが、この手紙の大きなテーマの中のひとつも喜ぶことです。パウロがこの手紙を書いたとき、獄中にあり、普通の考えれば、決して喜ぶことができるような状況ではありませんでした。

しかし、彼はあえてこのように言っているのです。

「最後に、わたしの兄弟たちよ。主にあって喜びなさい。」(3章1節)

それは、この世で喜ばしいと思われること、楽しいと思われることとは、何か本質が違うもののようです。

そこには、何だかとてもない力があるような気がします。

ブログを統合しました

過去に「LIVING WITH JOY」、「試練にあるときに」、「43才、人生を考える」というブログを作成していたのですが、このたび、すべてこのブログに統合して一本化しました。

2007年に結婚して以来の自分の歩みの記録となります。

2016年1月2日土曜日

シダンゴ山

冬休み中、妻が自然のあるところに行きたいと行っていたので、今日は、山に行ってきました。日帰りで気軽に行ける山を探してたところ、神奈川県の松田町にある「シダンゴ山」が目に留まりました。何だか不思議な名前の山です。

標高は758m。それほど高くないようですが、眺めは最高でした。




 
 
山頂で食べるカップラーメンは、なぜか本当においしいです。ぜひ、一度やってみてください。
 

コーヒーは、ぜいたくにドリップで淹れました。クリームをたっぷり入れて、味は最高!



他に登山者の方が一人いて、いろいろと話をしました。山ではなぜか、人は心がオープンになります。

14時半までには、下山してバスに乗ることができ、ちょうどよい時間に帰ることができました。

私達夫婦にとって、とても良い時間となりました。

タイトル変更してブログ再開

2年半近く、このブログを更新していませんでした。このたび、タイトルを「べテルを慕い求めて」に変えて、再会しようと思います。

なぜこのタイトルに変えたか、理由は追って書こうかと思います。ひとつだけ言えることは、僕は、なぜか、創世記28章でヤコブに起きた出来事が心から離れないということです。そのことについては、2013年の1月と5月に小さな記事を書いていますが、その後、日常の生活に押し流されて、自分の思いが心の中に深く沈殿したまま、2年半もの歳月が流れてしまったかのようです。

しかし、ここで再度、べテル、すなわち、「神の家」とはいったい何なのか、ヤコブがべテルと名づけた地で見たことはいったい何だったのかを追い求めてみたくなりました。

これは、旧約及び新約聖書全体を貫く大きなテーマだと思います。