2009年3月28日土曜日

行き詰まり



妻は、日常の中で起こったいろいろな楽しい出来事をブログに軽妙な文章で書き綴るのだが、僕はどうもそれができない。
 
いろいろと楽しいことはあるし、妻との生活の中で学ぶこと、感じることは沢山あるのだが、それがなかなかまとまった文章として結晶していかない。
 
いや、むしろ僕は何かに行き詰っているとき、思い悩んでいるときに、何か文章を書きたくなる。
 
今日は、妻がある友人の朗読会に行ったので、僕は家でひとりパソコンに向かいながら、いろいろと思い悩んでいた。またいろいろと行き詰っている。
 
しかし、思い起こせば、これまでの37年間の人生の中で行き詰まったことは何度もあった。 
 
妻と最初にデートをしたとき、僕は失業中だった。その上、教会もあまり行っていなかった。社会の中でも、いわゆる「キリスト教世界」の中でも居場所がないように感じてしまい、とても深い挫折感を抱いていた。 
 
その最初のデートでは一緒に映画を観に行ったのだが、帰りに喫茶店に入って一緒に飲み物を飲んでいたとき、僕は彼女に言った。僕は社会でも、キリスト教の世界でも両方で失敗した人間なんだよ、と。 
   
そのとき妻は言ってくれた。Williamくんは、そんなことで終わる人ではないよ、と。
 
このことばがそのときとても嬉しかった。こういうことを言ってくれた女性は初めてだったので、僕は彼女と結婚したのかもしれない。 
 
今こうして曲がりなりにも普通に仕事をし、日曜日には妻と一緒に教会の礼拝に出席している。実はとても幸せな生活をしているのだろう。 
 
今の行き詰まりに対しても、イエス様はきっとささやくような小さな声でやさしく言ってくださっているのだろう。 
 
お前はいつまでもそこに留まることはないよ、 
 
しばらくの間だけ、苦しむかもしれないが、 
 
やがて死ぬべきものが死んだとき、 
 
また新しく私と一緒に生きるようになるよ、と。