2007年8月30日木曜日

また天ぷら

今日はくたくたになって帰ってきた。

家に入り、食卓を見ると、そこには天ぷらがたくさんお皿にのっていた。

JOYの友達のSちゃんが、金沢からわざわざ加賀野菜を送ってくれたのだ。

とてもおいしかった。萎えてしまった心もだいぶ元気付いた。

僕は与えられてばかりだ...

ちなみに、加賀野菜がどんなものか興味ある人は、リンクのjoy in the houseの中で見れます。

2007年8月27日月曜日

アメリカンジャンクフード、そして天ぷら

先週は仕事がとても忙しく、土曜日には熱を出して寝込んでしまった...それでも、夕方には何とか元気を出して、JOYと一緒に近くの米軍の施設で主催された盆踊りに行ってきた。

アメリカ人が主催する盆踊り。和太鼓の音が聞こえてくる中、アメリカン・ジャンクフードをほおばる。何とも不思議な空間だった。

今日は何とか風邪も治ったので、無事出勤することができた。仕事から帰ってきたら、JOYが天ぷらをつくって待っていてくれた。

残暑の中、妻と一緒に食べる天ぷら。

これがとてもおいしかった。

2007年8月19日日曜日

Running with Joy

毎朝、会社に出勤する前にJOYと一緒に聖書を読み、一緒にお祈りしているが、最近次の一節が心に残った。

「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。(使徒の働き20章24節)

英語の聖書では、「自分の走るべき行程を走り尽くし」という箇所が「so that I may finish my race with joy」、つまり直訳すると、「私が喜びをもってこのレースを終えられるように」となっている。

これは、使徒パウロが、エペソを離れてエルサレムへと行くときにエペソの教会の長老達に語ったことばである。パウロは、行く先になわめと苦しみが待ち受けていることを知っていたが、自分に与えられた喜びをもってレースを走り抜け、使命を果たしたいという思いをこのように語った。

この一節をJOYと一緒に読んだとき、僕は、心の中で果たして、自分は喜びをもって人生の行程を走りぬけれられるだろうか、という思いが沸き起こった。心の中にあらゆる苦々しさや後悔の念を抱きながら、かろうじて倒れるかのようにして何とかレースを走り終えるのではないか。でも、この一節を思い巡らす中で、やはり自分もパウロのように、finish my race with joyしたいと思った。

実際のところ、僕はこの人生をJOYという一人の女性と一緒に走っている。ときには、どちらか一方が疲れてしまって、倒れそうなときがある。しかし、そういうとき、どちらか元気のある方が相手を励ましていけば、何とか倒れそうな片方また立ち上がってまた一緒に走りだすことができる。

イエス・キリストは、自分の十字架を負って私についてきなさい、とおっしゃった。人生はすべてなんでもOKでHAPPYだよとは、決しておっしゃらなかった。

いや、むしろ自分の十字架を負ってまっすぐに走っているときにこそ、心の底に喜びが湧き上がり、周りに気を取られることなく、ゴールまで一直線に走れるのだろう。

神様の恩寵により、JOYと一緒に是非最後までjoyをもって自分達に与えられたこのレースを走り抜けたいと思う。

ちなみに、今JOYは、24時間テレビというテレビ番組を見ていて、間もなく70kmを完走しようとしている、欽ちゃんを応援している...

2007年8月15日水曜日

joy in the house

僕がこのブログを始めてから、しばらくしてJOYもブログを始めた。でも、今ではJOYの方が毎日ブログをちゃんと更新している。しかも、内容が面白くて、写真まで付いている。

リンクが左に貼ってあるので、よかったら読んでください。

2007年8月13日月曜日

日曜日

昨日はお昼にA夫妻が遊びに来てくれた。うちでそうめんを用意し、A夫妻がてんぷらをもってきてくれた。A夫妻は僕らの結婚を支えてくれた夫婦だ。A婦人は僕とJOYの仲をとりもってくれたし、A旦那は僕らの結婚式で司会をしてくれた。

とても楽しいときを一緒にすごした。それから一緒に教会の集まりに行った。

教会の集まりに行ったら、P夫妻が来ていた。P夫婦も昔からの友人だ。僕の良いところも。悪いところもすべて知っている大切な友人である。上の娘ふたりがキャンプに行ったというので、一番下の赤ちゃんだけをつれて、今日は集まりにはるばる来てくれた。

集まりが終わってから、横浜のルミネの7Fにある韓国料理屋で一緒に食事をした。教会について、夫婦生活について、久しぶりにいろいろと話し合えた。

思えば、僕はもうP夫婦を学生の頃から知っているので、14年近い付き合いになる。仕事がないだとか、女性にふられだとか、僕は何かとそういうことが多かったが、P夫婦はいつもそんな僕を励ましてくれて。おいしいものを食べさせてくれていた。

そして、僕もとうとう結婚をして、こうして夫婦同士で交わりがもてるようになった。本当に神様の哀れみだ。

昨日は結局、P夫妻におごってもらった。

愛を多く受けた日曜日だった。

2007年8月8日水曜日

おめでとう!

今日は、通勤電車の中で大学時代の友人、Yのことを考えていた。あいつどうしているのかな、と。

さっきメールを見たら、Yから長女が生まれたとの報告のメールが入っていた。

Y、おめでとう!

JOYは今日、あるジャーナリストの講演会に参加しているので、僕よりも帰りが遅い。先に帰って、布団を敷いておいてあげようと思っていたけれど、家についたら布団はすでに敷いてあった。さすが、JOYは準備がいいね。


明日のお弁当のおかずらしき、うなぎも冷蔵庫に入っていた....

2007年8月6日月曜日

今ひとりで,,,

JOYは今日、東京で絵の個展のお手伝いをしていた。

今、友達でもあるアーティストの車に乗せてもらい、家まで送ってもらっている。きっと、女同士で車の中で楽しいおしゃべりをしているのだろう。

僕は今日、8時半まで残業をし、先に家に帰ってきた。

そして、今ひとりでパソコンに向かい、この記事を書いている...

2007年8月5日日曜日

先月の記事

実は、このブログ、先月始まっていたのだ。ただ、このGOOGLEのブログサイトの方が使い勝手がよく、広告も入らないので(別にこのブログサイトを宣伝しているわけではないが)装いを新たにして始めることにした。

以下に先月の記事を貼り付けた。よかったら読んでください。


けんか[2007年07月10日(火)]

昨日の夜、僕とJOYはけんかをしてしまった。

とてもささいなことがきっかけだったが、そこから大きなけんかへと発展した。僕はJOYに枕で叩かれてしまった。

今日会社から帰ってきたら、なぜかかつおの刺身がテーブルの上にのっていた。そして、おじさんから送られたというじゃがいもをJOYはおいしそうにほうばっていた。

いつものように会話ははずまなかったけれど、気まずい沈黙でもなく、たわいもない話をした。昨日のけんかの核心部分にはお互いあまり触れようとしなかった。下手に触れると、けんかが再燃してしまうのお互いに無意識のうちに避けていたのかもしれない。今日やりとりのあった調子のいいお客さんのことを話したら、JOYが少し笑った。

愛を育てること[2007年07月19日(木)]

去年の7月17日に僕はJOYにプロポーズをした。JOYが一周年を記念しtネクタイを買ってくれた。青色に楽器の絵の刺繍が織り込まれた素敵なネクタイだ。ネクタイと一緒にはがきももらった。そのはがきの表のイラストの上に次のような一文があった。

恋は生まれるもの...だったら、愛は育てるもの...かな。

先週から今週の月曜日にかけてJOYとたくさん時間を過ごすことができた。先週の木、金と有給をとり、長野へと旅行した。帰りは鈍行で帰ったのだけれど、ただ、長い時間JOYと一緒に電車に乗って外の景色をボーっと眺めているだけで楽しかった。八王子の駅構内にあるそば屋の山菜そばが意外とおいしかった。月曜日も休日だったので、一緒に葉山に行った。

途中けんかもしたけれど、ただ、多くの時間を一緒に過ごすことによって、さらに愛が深まった気がした。結婚して6ヶ月。プロポーズしてから一年。けんかもたくさんしたけれど、その分、二人の間で愛が育ったのだ。

ダンス[2007年07月30日(月)]
土曜日はJOYと期日前投票で役所にいった。投票を済ませてから、伊勢崎町に行き、ブックオフに行った。


U2のRattle and Humが500円で売っていたので、買ってしまった。JOYは、今中央アジアにいる親友のために、コメディのDVDを買った。

家に帰ったら、早速、Rattle and Humの中にあるAngle of Harlemを聴いた。聴いていたら、突然踊りたくなり、台所にいたJOYをつかまえて、一緒に踊った。

とても楽しかった。リズムに乗るJOYがかわいかった。

結婚

2007年の1月、僕はJOYと結婚した。

このブログでは、JOYとの結婚生活の中で経験したこと、考えたことなどを綴っていこうと思う。

僕が最近特に思うことは、神様は何と男と女をうまく造ったことだろうか、ということである。

JOYという一人の女性と一緒に暮らすようになって、何と言うか、いろいろとお互い調整しなければならないことはたくさんあったけれど、でも、不思議な「調和」がやはりあるのだ。

これは、決して、自分達の努力や力だけでつくり出せるものではない、と僕はこの7ヶ月近くの結婚生活での経験から思う。

「とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。女が男をもとにして造られたように、同様に男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています。(コリント人への手紙 第一 11章10-11節より)」

もちろん、いろいろ努力は必要であるけれど、結婚へと導かれた男女は不思議と「調和」するようにできているのだ。