2013年7月29日月曜日

主の取り扱い

主の取り扱いは、ときには激しく、その渦中にいるときは、なぜ自分にこのようなことが起こっているのかわからないほどです。しかし、主が私達を取り扱われるということは、それが私達にとって確実に必要なのだからです。

数ヶ月に及ぶときもあるでしょうか。しかし、主が自分を取り扱われているのだなとやっと気づくとき、少しホッとしますね。これも聖霊が気づかせてくださることです。

主の取り扱いは、まさしく主の愛です。ただし、それは私達人間が望む「愛」とは明らかに性質の違う「聖い愛」です。その深さに気づくまで時間がかかるときもあります。