2007年9月30日日曜日

Living with Joy

最近はJOYと家族について学んでいる。

おもしろいことだが、結婚して9ヶ月経ち、JOYは僕と家族であることにやっと気づいたらしい。夫婦ではあっても、家族であるとは思っていなかったそうだ。ちょうど、家族に関するメッセージを一緒に聞いて、気づいたそうだ。

僕の父や母や弟が家族なのであり、僕とJOYとでひとつの家族であるとは考えていなかったのことだ。

でも、今や僕とJOYでひとつの最小単位家族であるのだ。いや、もっと正確に言うと、天の父であられる神様がともにおられ、ひとつの家族ができたのだ。

僕は何となく家族であることは疑ってもいなかったので、今まで「僕らって家族だよね?」というような問いかけは一度もしてこなかった。

JOYは、僕たちが家族であることに気づいてから、とてもうれしかったらしく、今週は僕は仕事で遅くなっても、そんなに淋しくなかったらしい。家族ががんばっているのだから、自分もがんばらなくてはと思ったいたらしい。

昨日はLIFEという映画を一緒に観に行った。若くして病気で亡くなる元プロウィンドサーファーとその家族を実話に基づいて描いた映画だ。家に帰ってきてから、実際のその人物、飯島夏樹さんとその家族のドキュメンタリーをネットで観た。

絆がとても強い家族だった。飯島さんが死を目前にしながら、本人、奥さん、そして子供達の明るさにはとても驚いた。

映画でも、自分の状況を受け入れるまでの本人の凄まじいまでの葛藤を描いていたが、ドキュメンタリーでは、立ち直った後の飯島さんがある意味とても「健康そう」というか、生気がみなぎっているように見えた。

末期癌に犯された人を「健康そう」だというのも変だが、ドキュメンタリーで見る飯島さんは、「死」が間近に待ち受けているのにも関わらす、「生」を強く感じさせる人だった。自分がこれから死ぬことについて、友人達に何の重たさも暗さもなく語るところにはとても驚いた。

それには、やはり家族との固い結びつきが大きな要因だと思う。彼は父として、体が弱っていく中でも最後まで精一杯できることをしていた。そして、体が極度に弱りながらも子供達の前でもう一度サーフィンをする姿を見せていた。父親がこの世を去る日が近いことを知りながらも、家族が共にいる喜びが画面を通して伝わってきた。

そして、飯島さんと彼の家族には何よりも天国で再び会えるという強い信仰があった。

神様は本来家族を喜びのある場所として創造されたのということを今回強く感じた。人間が誘惑に陥り、自ら家族を破壊し、悲惨な場所へと変えてしまったのだ。

しかし、神様は回復の道を備えてくださった。そのためにご自身の最愛の御子を与えてくださったのだ。

僕らにも喜びの場所が回復されたということを、再認識する週末だった。

今週のしめくくりは、一緒にハーゲンダッツのアイスクリームを食べながら、家族について語り合うことだった。その後、僕はパソコンに向かい、この記事を書いた。

2007年9月23日日曜日

小さなスーパーで見た笑顔

今週は遅くまで働く日々が続き、土曜日も出勤した。

今日の夕方、二人で近くの上州屋というスーパーへ買い物に行った。

何でもないことなのだが、もずくが安く売っていて、以前JOYが買ってきたのもを食べてみて何となく健康にもよさそうなので、一瞬心が動いたのだが、そのコーナーは通りすぎた。そしたら、JOYが「もずく買わないの」と言うので、牛乳をコーナーからもずくを売っているコーナーに戻って、もずくを取り、JOYが持っている籠のなかに入れた。

そのとき、一瞬JOYがにこっと笑った。

なぜかこのとき小さいスーパーで見せた妻の笑顔に何かささやかな幸福感を感じた。

いろいろと苦労もある人生の中で、ちょっとした笑顔が大きな慰めとなってくれるときがある。自分のために特別にとってある笑顔というものあるのかもしれない。これは、考えたら神様からの大きなプレゼントでもある。

JOYは、今日きりたんぽという料理をつくってくれるらしい。どんな料理か食べるのが楽しみだ。

「日の下であなたに与えられたむなしい一生の間に、あなたの愛する妻と生活を楽しむがよい。それが、生きている間に、日の下であなたがする労苦によるあなたの受ける分である。」(伝道者の書9章9節)

2007年9月17日月曜日

久々の大喧嘩

一昨日、久々に大喧嘩をした。

2週間前、9月に入ってから僕は1週間の夏休みをとり、その間もずっと一緒に過ごしていたのだが、なぜか一度もけんかをしなかった。ディスニーランドに行ったり、とても幸せなときを過ごしていた。先週は知り合いの婚約中のカップルに、うちは最近「無けんか」だよと自慢していたくらいだ。

しかし、表面上は問題がなくても、水面下では次第にマグマがたまっていたのかもしれない。

一昨日、JOYがつくってくれた美味しいパンケーキを食べているとき、僕のちょっとしたことばがきっかけで、大喧嘩に発展してしまった。

JOYは結局大事な用事があり、夜もお客さんが来たので、その日は解決できず、そして昨日はかなり深刻な事態となってしまった。

お互いの怒りをかかえてしまい、ネガティブなことばをお互いに浴びせてしまった。コミュニケーションができなくなった時間帯もあった。

でも、その後話し合いを続け、展望があまり明るくなかったのだけれど、JOYが一緒にビデオを見ようといってくれた。畳の部屋で根っころがりながら、一緒に見たそのビデオは、アメリカのカルフォルニアにあるカルバリチャペルで行われた、陶芸を実演するだんなさんと賛美をする奥さんによる聖書の話、自分達の証、歌などといった内容だった。

だんなさんが粘土をこねり、ろくろを回して、大きなつぼをつくりながら、神様が如何に陶器師であり、私達を練ってくださっているかという話をするのだが、とても説得力があった。奥さんの歌もとてもよかった。そして、二人の結婚の中での修羅場を証してくれてのがよかった。

ビデオが終わってから、テレビ番組で工藤静香が歌っているのを二人で見て、たわいのない会話をした。テレビを切ってから、さあ寝ようというところで、自然に和解ができた。

このビデオはJOYがどこからか借りてきたらしいけれど、このタイミングでうちにあったのことに、神様の御計らいを感じた。

けんかをしている中でも、やはり僕らは夫婦なんだなあと感じる瞬間が何度かあった。それはことばでは説明しづらいのだが、まあ、ネガティブなことばが矢のようにJOYの口から出てくるときも、なぜかその顔がかわいいと思った。

むしろ、JOYが水面下で溜めていた眠っているマグマを噴火させて、顔がとてもすっきりしたような気がした。まあ、僕も言いたいこと言ったから、すっきりしたのだけれど。

今日は、JOYは千葉で開催されるゴスペルコンサートにコーラスで参加するために出掛けていった。

昨日のお化粧をしていない怒った顔もかわいかったけれど、朝、お化粧をした顔がとても美しかった。

JOYが出て行くとき、アパートの窓から手を振って見送った。