2011年2月20日日曜日

謙虚?

昨日は妻の仕事を午前2時まで手伝っていたため、今朝起きられず、結局午前中の礼拝には参加することができなかった。先週、3日も夜勤をこなしたあとにしっかりと礼拝出席していた、つわものの兄弟もいたけれど、僕にはそこまでの根性がなく、結局午後3時まで寝込んでしまった。

妻はすべての用事を終えてから3時くらいに帰ってきて、かき揚げうどんをつくってくれた。

その後、妻が昼寝をしている間、僕はネットで配信されているメッセージを聞くことにした。

タイトルは、”Humility, The Secret of Grace”。恵みの秘訣である謙虚さについてであった。

とてもよいメッセージであった。あの悪名高い悪の権化のようなイスラエル王のアハズでさえも、自分の非を認めてへりくだったときに神様は予定されていた裁きを延長され(第1列王記21:27-29)、へりくだる者に対して神は恵みを与えることが語られていた。

このメッセージを聞いたあと、僕は早速第一列王記のエリヤとアハズ王の一連の物語を読むことにした。エリヤがカルメル山でバアルの預言者と対決して大勝利を収めたところや、世話になっていたやもめの息子のためにお祈りして、その息子が死から甦ったところを読み進め、エリヤがオバデヤに会いに行くところあたりまで読んだときに、一本の電話が鳴った。

何だかちょっといやな予感がしたのだが、電話をとってみたら、案の定不動産のセールスの電話だった。

セールスの電話がくるとき、僕は大抵うちの電話番号はどこで入手しましたかと尋ねるようにしている。そうすると、大抵地域の電話番号を手当たり次第に順番にかけていますというような答えが返ってくる。そのあと、今は興味はないのでと丁重に断ると、大抵わかりましたと言って、電話を切っていただける場合が多い。

今回も僕はまず“この電話番号はどこで入手しましたか”と切り出したが、今回の人は “私はこの地域の担当なので”というあいまいな答え方をした。そこで僕はさらに突っ込んで、電話番号は個人情報ではないですかと言うと、相手の人は、いや電話番号は個人情報ではありませんと答えたので、ここから段々火がついてしまって口論になってしまい、僕も相手もむきになってしまった。

結局一度電話を切ったのだが、相手の人はもう一度電話をかけてきて“落ち着いてください”と言うので、僕はますますカーッとなってしまった。“おまえの会社の電話番号教えろ”と言ったら、“あなたが私の用件に答えないので、私もそれに答える義務はありません”と言われてしまい、何だかよくわからない話になってしまった。結局僕はもう一度電話を切り、しばらく電話線を外すことにした。

たとえしつこい勧誘の電話相手だとしても、怒ってしまったあとは何とも後味の悪いものである。僕も最後は相手に対して“おまえ”呼ばわりをしてしまったので、そこにはつい先ほどメッセージで学んだはずの“謙虚さ”はかけらもなかった。

僕は穏やかな性格のように見えるらしいが、実は一度何かのきっかけで逆上してしまうと、かなり怒りを爆発させてしまうときがある。後々になって、あのときはなんであそこまで怒ってしまったのだろうかと悔やんでしまう。なぜもう少し落ち着いて、理路整然と“謙虚”にNOがいえなかったのだろうかと。しかし、それがなかなかできないときがある。

妻も一部始終を聞いていたのだが、そういったしつこい勧誘電話をどうやってかわせばよいか、穏やかに教えてくれた。

何かのよい教えやメッセージを聞いたあとは、自分が霊的に少し向上したような気になるときがある。そして、平和で穏やかな気分でいたいものだ。しかし、主はそういうときにこそ、私たちの本当の姿をあえて見せてくださるときがあるような気がする。主は、別に意地悪をしているわけではないのだ。ある意味、僕らは自分の本当の姿を見てこそ、謙虚になれるのではないだろうか。自分の本当の荒削りな性格とみじめな姿を目の当たりにしてこそ、灰をかぶって、主の御前にへりくだることができるのではないだろうか。主が私たちの本当の姿を光の下で見せてくださること自体が大きな恵みなのかもしれない。あのとんでもないアハズ王でさえも一度は自分の非を認めてへりくだったときに、神様は恵みを授けたのだ。

結局そのあと妻とお祈りしてから、僕は一日外に出ていなかったので、スーパーに買い物に行った。とてもおいしそうなぶりとしめさばの刺身があったので、それを買ってきて、二人で楽しく食事することができた。

(上で紹介したメッセージは以下のサイトからダウンロードできます。すべて英語ですが、主に対してとても忠実な兄弟達のメッセージが多数聞けます。)
http://www.christiantapeministry.com/tape-page.php?id=3013

2011年2月5日土曜日

主の助けと導き

先日、小さいけれど次のような良いことがあった。

昼休み、あることでどうしようものかと思案しながら外を散歩していたのだが、会社に至る坂の入り口の前の角を曲がったとき、ちょうど相談したいと思っていた同僚にバッタリ出会った。

僕はすでに昼食は済ましていたのだが、とりあえず同僚が向かっている店まで一緒に行くことにした。その日は陽が出ていて、寒さの中でもポカポカと太陽の暖かさを感じることができ、歩いていて気持ちよかった。僕は同僚に自分の状況と自分の考えを説明し、話をしているうちに段々考えが整理されてきて、自分のとるべき行動と言うべきことが大体見えてきた。この同僚は、僕よりも社会経験のある人でしかもとても聞き上手なのだ。とりあえず同僚が向かっていたタイ料理屋まで行き、そこで別れた。

それからまた戻って、会社に至る坂を登っていたとき、もう一人の同僚に出会った。なぜか最近ちょっと気まずくなった同僚で、僕は仲直りできるようにお祈りしていたのだ。僕は彼に声をかけて、しばらく立ち話をした。大した話をしたわけでもないが、笑っている中になんとなく気まずさもなくなった。

そして気持ちよく仕事に戻ることができた。こうした小さいことの中に、主の助けと導きを感じることができた。