僕は現在、就職活動中だ。
41才で就職活動なので、かなり大変だ。
前に勤めていた会社を辞めると決意した後、正直に言って次の職場はわりと簡単に見つかると思っていた。自分のキャリアやスキルにそれなりに自信をもっていたのだ。
ところが、蓋を開けてみると、大変苦戦することになった。9月から就職活動を開始したのだが、既に20社くらいは不採用となっている。
理由としては、年齢と転職回数の多さがひっかかっているらしい。
僕は大学卒業後、かなり転々とした。韓国で英語の講師をした後、帰国して英会話学校、コンサルティング会社、翻訳会社などといろいろなところでの仕事を経験した。また、合間をアルバイトでつなぐことも多く、引越屋、警備員、倉庫内作業などをしている。
今は倉庫内作業のアルバイトをしながら、企業に応募しては試験を受けたり面接をする、ということを繰り返しているのだが、正直疲れてきた。
しかし、不思議なもので、もうだめだと思ったときに道が開けたりするものだ。1996年に大学を卒業して以来、僕の人生はいつもそうだった。
大学卒業後、僕は当時韓国に渡って日本語講師になることを計画していた。しかし、雇用してくれる学校は見つからず、そのまま僕は就職浪人となってしまい、大卒フリーターになってしまった。
そして、引越屋、警備員、工事現場作業員、語学学校事務などをアルバイトを約一年半した後、ようやく韓国で英語を教える仕事が与えられたのだ。
当時、転々とアルバイトをする生活もかなり精神的に厳しく、当時ノイローゼに近い状態ななった。
あるとき、引越屋でトラックの誘導をしていたとき、僕の誘導ミスでトラックを家の門に突っ込ませてしまい、その門がひん曲がってしまった。
運転手さんに、何をやっているのだと怒られ、目の前がまっくらになった。当時若かったので、保険のことなどがわからなかった僕は、自分の責任で弁償しなくてはならないのではないか、と思い込んでしまった。
結局運転手さんが会社に電話して、会社の保険で修理することになったのだが、僕はとても絶望的な気分になった。
大学を卒業して、就職もままならず、アルバイトでも事故を起こしてしまう。なんと惨めなことか。
ところがだ。惨めで絶望的な気持ちになって、空き地でたまたま聖書を開いたとき、詩篇の103編が僕の目の中の飛び込んできた。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主はあなたのすべての咎を赦し、
あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から購い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、わしのように新しくなる。
これを読んで、心がパーッと明るくなったのを今でもよく覚えている。状況は変わらなくても、なぜかこのことばが心の中にストンと落ちたのだ。
そのあといろいろと紆余曲折を経て、アルバイトで大変な思いもする中、ある日一枚のFAXが届いた。教会の友人を通して、韓国の地方都市にある語学学校で英語講師を求めているという連絡が来たのだ。
突如として道が開かれたのには、僕も大変びっくりした。当時はとにかく、韓国で生活して韓国語を覚えたいという強い願いがあったので、その願いがとうとうかなえられたことにむしろ驚いてしまったのだ。
そして、26歳で韓国に渡ることになったのだが、韓国で過ごした1年は僕の人生の中でもとても貴重な一年となった。
さて、今41才にしてまた人生の谷間を歩くことになったのだが、人生の谷間においても、いろいろな人に出会うわけで、それはそれで益となっている。とても面白い人もいれば、とても大変な人もいる。
来週も一社面接がある。妻はこの会社にかなり期待しているようだ。どうなるかわからないが、疲れている中でも、主の良くしてくださったことを何一つ忘れることなく、前に向かって歩いていこう。
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