2013年1月6日日曜日

41才、人生を考える

ブログを続けるということは、結構大変なことだ。

自分のブログを人に紹介をしておきながら、人が読んでいると思うと、思ったことを素直に書けなくなったりする。それで、ずっと更新しないまま放置した状態になったりする。

なので、今度はじめたブログは、あまり人には宣伝せず気ままに書いてみようと思う。4つ目のブログになる。

また新しいブログを始めようと思ったのは、妻が新しいブログを始めたいと言い出したからだ。それで、妻に触発されて、妻が実行に移す前に僕がこうして新しいブログを始めてしまった。

いつまで続くかわからない。もしかしたら、また途中で続かずに途絶えてしまうかもしれない。

しかし、あまり人に宣伝はしないつもりだから、そのへんは気楽にやっていこうと思う。

タイトルは、「41才、人生を考える」。

41才の男が人生について、どれだけのことを知っているだろうか。

僕は、いろいろな仕事を経験してきて、今はアルバイトでつないでいる身。主に日雇いで倉庫などで働いている。前の仕事は、翻訳会社で翻訳コーディネーターだった。

今までに旅した国は、アメリカ、フィリピン、韓国、イスラエル、中国。韓国には20代の頃、一年間住んでいた。

ごく簡単に略歴を書いてみたが、こういう男が、人生について何か語ることができるだろうか。いや、大したことは語れない。僕の人生は、ある意味、挫折に満ちていて、世界をぐるぐる回りながら、何とか這いつくばって前に少しだけ進んできたようなものだ。しかし、2007年に結婚できたのは本当によかった。結婚して僕の人生は少しまともになったと思う。

不思議なもので、人はやはり、不特定多数の人達に向かって、何か言ってみたくなるものだ。自分という存在がこの世にあり、自分のいろんな思いを他者と共有したいものだ。だからこそ、ブログだとかツィッターだとかが流行るのだろう。

しかし、困ったことに、自由に自分が思ったことをいろいろと披露してしまうと、こんなことを書いてしまってよかったものだろうか、人に無用な心配を与えてしまわないかと悩んでしまう。それで、結局当たり障りのない内容ばかりになってしまう。人のことはわからないが、少なくとも、僕はそうだ。

なので、あまり人に宣伝しないこのブログで、いろいろと自分の中で溜まった思いやらを書いてみようと思う。これもまた妙なことだけれど。

「41才、人生を考える」といっても、あまり大したことは書けないだろう。

しかし、「大した」こととは何か。それは、やはりひとつだけであろう。

ソロモン王が伝道者の書で述べた結びのことば、

「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」

結局、人生はこのことに尽きる。

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