2012年10月19日金曜日

豊かな所


新潟県の妙高市に来て5日目になります。

今日は授業が2時半に終わったので、宿泊先のペンションに戻ってから、近くを散歩することにしました。

背の高い木が両側に立つ細い道路を抜けると、「いもり池」という池が広がっていました。ここから妙高山の全容が見れるのです。

天気もとても素晴らしい秋晴れで、午後の太陽の光が降り注いだ木々や水面が輝いています。

ちょうど今朝、以下のようなみことばを読みました。

「あなたは人々に、
私たちの頭の上を乗り越えさせられました。
私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。
しかし、あなたは豊かな所へ
私たちを連れ出されました。」
(詩篇66篇12節)

池の水面には、多くのはすの葉が浮いているのですが、秋の到来とともに色づいた葉っぱの織り成す色のグラデーションが実に見事でした。


空気も澄んでいておいしいです。しばらくこの景色に吸い込まれていました。神様の創造には深い慰めがあります。ここはまさに「豊かな所でした」。

運転免許の取得は、甘くありませんでした。しっかりと予習復習をする必要があります。特に運転教習は大変緊張しますが、ようやくコースを何とか回れるところまで来ています。明後日には仮免の実技試験を受ける予定です。

免許合宿というのは、一時的に生じた小さな村社会みたいなもので、いろいろな人が来ては卒業していきます。ほとんどが20代の若い人達なのですが、中には僕のような「おじさん」もいました。

人生の「岐路」に立って、来ている人が多いです。調理の仕事を辞めて、新たに再起を図ろうとしている人。公務員試験合格を目指している青年。僕のように転職中の身の青年もいました。

主は一体この先、どこに連れて行ってくださるのでしょう。たとえ、人々が私たちの頭上を越えていき、水の中、火の中を通らされても、キリストに従う道の最後は、必ず「豊かな所」なのです。

2012年10月11日木曜日

冒険の時期

実は、昨日で会社を退職しました。そして、今転職活動中です。ここ一ヶ月半ほどは有給休暇を消化していました。

退職の最大の理由としては、度重なる深夜残業に体が耐えられなくなってきた、というのがあります。

転職活動中の身であるのですが、来週から2週間ほど運転免許合宿に行ってきます。新潟県の妙高に行って来ます。

本日、ある翻訳会社のトライアルを提出してから、いろいろと準備を始める予定です。

そのトライアルの結果が出るのは10月末であり、それまでの期間、合宿に行ってくるわけです。

妻は、今の状況にまったく動揺するところなく、それは本当に僕も尊敬しています。妻は、神様がすべてを益としてくださることを固く信じているのです。

ところで、神様がすべて益とするということは、結局、すべてのことを通して、益々キリストに繋がり、そしてキリストに似た物へと変えられることではないか、と最近考えています。

つまり、もし、ある出来事を通して、益々キリストに近づくならば、その出来事は益とされたということです。

しかし、ある出来事を通して、キリストより遠ざかるならば、その出来事は益とはならなかったことになるでしょう。人間的に見て「良い出来事」であったとしてもです。

なので、転職にせよ、運転免許にせよ、健康状態にせよ、それらすべてを通して、主の益とされること、その一点だけを望むべきだと思っています。

なぜなら、未来はキリストの内にのみあり、キリストが未来であるからです。

もちろん、神様がすべてを益としてくださる、といって自分の行動を正当化するようなことは決してあってはならないと思います。これはクリスチャンの陥る罠です。常に聖霊にあって、吟味する必要があります。

結婚したあと、5年7ヶ月あまり、会社員として安定した生活を送ることができました。これ自体、本当に大きな感謝でした。

今はしばらく「冒険」の時期です。

しかし、こうした「冒険の時期」にこそ父の愛がより鮮明に見えるときもあります。

2012年8月21日火曜日

未来はキリスト

未来はキリストにしかなく、キリスト以外には未来はありません。

キリストから目をそらして見つめた未来には絶望しかありません。なぜなら、そこには人類の罪の結果があるからです。しかし、キリストを見たとき、人間の悲惨な罪の結果の只中でも救いと復活が見えてきます。

個人の生活でも同じことが言えるでしょう。キリスト以外の何かに将来の希望をおいているとき、それはやがて崩れ、不安へと変わります。しかし、今どのような状態にあったとしても、自分の明日の望みをただキリストにおくときに、この世にはない平安が与えられるのです。

2012年5月8日火曜日

キリストの愛の中にとどまる

「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子になることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」 - ヨハネ15章8-9節

主の愛の中にとどまりなさい、とは何と素晴らしいことばでしょうか。

もっと奉仕しなさい、とか
もっと献金しなさい、とか
とにかくもっと頑張りなさい、とか

主は決して「何か」を「もっと」しなさい、とは言いませんでした。ただ、私の愛の中のとどまりなさい、と言われたのです。

主の愛の外で行ったいかなる行為、奉仕も献金も頑張りも、その動機を突き詰めると、結局は「自分」のためになるのではないでしょうか。

しかし、主の愛の中にとどまる中で実を結び、その溢れる中から行われたことは、主のために行ったことになり、主の栄光になるのです。

わたしの愛にとどまりなさいとは、何と素晴らしい平安のことばでしょうか。

2012年5月6日日曜日

主のなさることは、ときにかなって美しい

2週間休暇をとっていました。明日からまた仕事です。

この休暇の間、貴い交わりが数多く与えられました。

クリスチャンの兄弟姉妹の中にキリストの姿を見るとき、そこには無限の励ましがあります。

短い間でしたが、福島県いわき市にある教会も訪問することができました。実に様々な人生の中で主が働いておられることを見ることができ、圧倒的でさえありました。様々な状況の中で、教会を通して主になさることは、ときにかなって美しい、と実感できるときでした。

また、先日は横浜のクリスチャン家族のご自宅にも招かれ、遠方から来たS夫婦と一緒に実に楽しい語り合いのときを過ごしました。

それぞれ置かれた場所において、ひとりひとりの中にキリストが生きて働いていることを見ることは本当に大きな慰めであり、励ましです。

とても良い休暇となりました。

2012年3月15日木曜日

焼きうどん弁当

春の陽気を運ぶ風が

葉っぱの間を通り抜け

木々がざわめく

昼下がりに

公園のベンチで

僕はひとり

妻がつくってくれた

焼きうどん弁当を

黙々と食べた

2012年1月1日日曜日

不動の岩




このブログのタイトルをしばらく「40代の呟き」としていたのですが、それはまたやめて、元のタイトル「Living with Joy」に戻しました。

というのは、妻から「呟き」というのはよくないという指摘がありまして。

それは本当にそうですね。イスラエルの民は、エジプトを出てからも、呟いてばかりいて神様に信頼しなかったこそ、荒野を40年さまようことになりました。

年末の繁忙期は何とか乗り切り、正月休みの間、妻とゆっくりのんびりしています。

昨年の後半は、実に優秀なスタッフがプロジェクトに加わり、途中から仕事が楽しくさえなりました。これは本当に神様の大きな助けでした。

2012年はどういう年になるのでしょうか。世界ではまたいろいろと変化があるかもしれません。

しかし、私たちは常に「不動の岩」の上に立つことが大事ですね!

望み

地が震え、汚染されたこの時代

天が崩れ落ちる予兆を見たこの時代

私たちは何を望みとして生きればよいのか

私たちの望みは

再び来られる神の御子キリスト

私たちの生きているこの時代は

神の御子の再臨を待ち望む時代

だからこそ

絶えぬ望みを抱く私たちは

この地に住む間

もっとも小さき者を愛し

もっとも小さきことをおろそかにすることなく

慎ましく

そして

喜びをもって天を見上げ

生きていくのです