ユダの民がバビロンに捕囚された後、ダニエルが預言した70年の歳月が経ち、民は帰還して、神殿を建て、その後52日間という驚異的な速さで城壁も再建しました。
そして、会衆一同が広場に集まって律法を読み上げるときがありました。
律法のことばを聞いたとき、民は泣き出しました。きっと、自分達のあり様と神の律法との違いに愕然として悲しくなったのだと思います。
でも、そんな彼らに、ネヘミヤがこう語り掛けました。
「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です。」(8章10節)
何とやさしいことばでしょうか。この日は、長い捕囚の後、民が回復された日であるということができると思います。
「主を喜ぶことはあなたがたの力です」という一節は、英語の聖書(NASB)を見ると「the Joy of the Lord is your strength.」となっています。これを直訳すると、「主の喜びは、あなたの力です。」となります。
年明けにピリピ人への手紙も読んでいたのですが、この手紙の大きなテーマの中のひとつも喜ぶことです。パウロがこの手紙を書いたとき、獄中にあり、普通の考えれば、決して喜ぶことができるような状況ではありませんでした。
しかし、彼はあえてこのように言っているのです。
「最後に、わたしの兄弟たちよ。主にあって喜びなさい。」(3章1節)
それは、この世で喜ばしいと思われること、楽しいと思われることとは、何か本質が違うもののようです。
そこには、何だかとてもない力があるような気がします。
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