「地は形がなく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(創世記1章2-3節)」
神様はどんな暗いところでも、光を「在らしめる」ことができるお方です。神様が光を在らしめることのできない程の深い闇は存在しないことを、この創世記の最初の数節は示しています。ここには天地創造の前の闇があったわけですから、いわば究極の闇がありました。
人間はエネルギーをつくりだすことはできません。人間は神様のつくりだしたエネルギーによる恩恵で日々生かされています。自然の法則に逆らって人間がつくった(或いは破壊によって捻出した)エネルギーが如何に悲惨な結果に招いたかを今日私たちは見ることになりました。人間のつくったこの不自然なエネルギーは、死のにおいが充満しています。それに対して、神がつくりだすエネルギーにはいのちがあります。これは誰もが今日感じていることかと思います。
神様は、人間社会の最も暗いところにいる者の中にも光を宿らせることができます。その光は「復活のキリスト」です。復活のキリストの光は、この世が放つ光とは決定的に違います。
驚くことに、神様はご自身の光が宿るように、この世で見捨てられた人々、とるに足らない者を選ぶのです。
自分の弱さや愚かさを見るとき、そこには輝くようなものは何もないかのように感じます。そう、実際に何もないのです。しかし、この何もない私たちの中に、突如として復活のキリストは輝くのです。これは偉大な神秘です。
しかも、このことは十字架の死を通して、日常で受ける圧迫の中で、キリストと共に死ぬときに実現するのです。
人間社会の最も深い闇の象徴である十字架。この最も深い闇の中に、神様は突如光を「在らしめる」のです。
4 件のコメント:
この地上は日々
キリスト者をダメにしようとする
敵の策略に満ちています。
しかし
正にその点において、それが
サタンの働きを逆手に取り
むしろ神の力が働くチャンスとなってしまうとは
何たる神の知恵と能力でしょう。
十字架の奥深さは計り知れません。
シュガーさん、コメントありがとうございます!
「この地上は日々
キリスト者をダメにしようとする
敵の策略に満ちています。」
これは本当にそうですね。毎日の会社生活でも、いわゆる「教会生活」でもこれはひしひしと感じます。
しかし、そこで厳然と十字架が立っていることは、本当に奥深いですね!
ところで、僕達夫婦は今週末はだいぶリラックスしています。最近冷却マットなるものを買って、暑苦しい夜もクーラーなしで寝れるので、これも感謝です。
その点、夏、ここは気持ちがいいのです。
(申し訳ないのですが)
いいですね!その点はうらやましいです。
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