福島の山奥の山小屋で暮らしているS兄弟が今日ウチを訪問してくださった。
昨日電話をくださり、そして今日ウチにお迎えすることになったのだ。
主にある交わりは突然のときがある。
考えてみると、聖書の中でもかなり唐突に人が登場するときが度々ある。パウロがダマスカスに向かう途上でも主が唐突に現れ、パウロは地に倒れた。
人の計画によらずに、主の霊の中で歩むとき、突然交わりが与えられるときがある。
初めて会う兄弟と駅で待ち合わせをし、そしてすぐに打ち解けることができた。
鍋を囲って交わりを深めていくなかで、キリストの十字架と復活のリアリティーが強く心に迫ってきた。そして、兄弟が帰るときには、なんとも言えない霊の充実感があった。
自分の生活が知らず知らずのうちに、主の十字架を拒絶していたことに気づかされた。そして夫婦でそのことを悔い改めることができた。
主の十字架を経た復活の命。そこにこそ喜びがある。
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