2010年6月28日月曜日

知識が知恵を妨げる



若い姉妹よ、将来のことを思い煩うことなく、静かな平安の中で生きてください。あなたがこの世で未来があるかどうかは、神様だけが知っておられます。もしかしたら、未来はないかもしれません。実際のところ、自分のものであるといえるような日は一日もないのです。クリスチャンは、今日という日を神様の計画に従って歩まなければなりません。今日という日は神様のものです。

今やっていることに続けて励んでください。あなたがその方向にいくべきと感じているのですから、きっと成し遂げられるでしょう。しかし、いっぺんに多くのことをやり遂げようとしないでください。何よりも、今この瞬間に忠実になってください。物事をひとつひとつ行えば、必要な恵みは充分に受けられるでしょう。

ただ単にこの世から離れているだけでは充分ではないことをあなたはきっと理解しているかと思います。私たちは、この世から離れ、それを誇りに思ってしまうことがあります。ですから、自分を低くすることに特別な注意を払わなければなりません。この二つのことの違いをよく理解してほしいのです。この世から離れるということは、この世の外的な事柄を放棄することです。しかし、謙虚になるということは、内なる自我が取り扱われることです。すべてのプライドを捨て去る必要があります。プライドがどれほど危険なものであるかわかりますか。特に、一見正しく温和に見える知恵や道徳の影に隠れているプライドが危険なのです。

私たちは、あらゆる状況において謙虚にならなければなりません。決して自分を誇ってはなりません。特に自分のすぐれたところや特別な能力を誇ってはなりません。私がこのように言うのは、あなたが自分の力、自己放棄、自分の正しさにあまりにも頼りすぎていると思うからです。これらはあなたの力ではないということを知る必要があります。それらは、神様のものなのです。

私たちは、赤ん坊から学ぶことができます。赤ん坊は、自分のものを何ももっていません。ダイヤモンドもりんごも同じように扱います。赤ん坊のようになってください。自分のものを何ももたないでください(どのみち神様のものですから)。自分を忘れてください。すべてのことにおいて道を譲ってください。最も小さき者を自分より偉大な者としてください。

お祈りするときは、心をこめて単純な祈りを捧げてください。これは、よく考えられて洗練された祈りよりも遥かに勝っています。

喪失を経験するとき、深い祈りと魂の沈黙の中で、最も多くを学ぶことができます。この中でこそ、自己中心的な思いを拒否し、謙虚さ、無名であること、弱さと従順を愛することを学ぶのです。これらのことは、この世ではあまりにも軽蔑されていますが、実は真理への先導役なのです。人間の知識は妨げにしかなりません。

From Letter 15 - "Our Knowledge Stands in the Way of Our Becoming Wise", Fenelon

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