2010年1月4日月曜日

神の愛を忘れるほどまでに自分の欠点に失望しないように




自分の欠点を気にしすぎないようにしてください。それよりも、イエス様に対する尽きぬ愛をもつことに集中しましょう。多く愛する者は多く赦されます(ルカ7:47)。しかし、愛そのものよりも、愛の気持ちよさ、自己中心的なワクワク感(これらは愛の副産物です)を追い求める傾向に気をつけなければなりません。わたしたちは、簡単に自分を欺いてしまいます。「愛」に集中するあまり、重要なポイントを完全に見逃すことがあります。あなたは最愛の方その人よりも、愛に心を奪われていると、聖フランシスコ・サレジオは言いました。もしわたしたちの愛の主な対象がイエスであるならば、わたしたちはイエスの愛にすっぽりと包まれます。しかし、イエスの愛を確かめようといつも気を揉んでいるとすれば、まだ自我に囚われているのです。


イエスの霊を通して、平安の内に自分の欠点を見つめるとき、イエスの愛の神秘の中でそれは消えていきます。しかし、イエスがわたしたちを愛してくださっていることを忘れて、自分の欠点に気をとられるとき、わたしたちは落ち着きを失い、神の臨在が妨げられ、神の愛の流れが堰きとめられます。自分の欠点を恥ずかしく思うあまり、神の愛を忘れてしまうならば、そのことが欠点そのものよりも大きな間違いとなり得ます。ですから、自分の欠点に失望しすぎないようにしましょう。先日次のような人に会いました。その人は、ある聖徒の物語を読んだ後、自分の人生との違いに腹が立ち、献身的なクリスチャン生活を歩むことを諦めてしまいました。この人のようにはならないでください。
 
あなたからの手紙を読むとき、その筆跡から平安と自由伝わってきて、それだけあなたが忠実に歩んでいることがわかります。あなたがより平安に満ち、より自由であるほど、あなたは神により近いようです。

From "Letter 13 - Despair at Our Imperfections Is a Grater Obstable Than the Imperfection Itself" in "Let Go", written by Fenelon

2 件のコメント:

Mr.Sugar さんのコメント...

もぶぶさんの紹介です。

「イエスそのもの、そのお方」

へと引きつけれれることは

真の霊的成長への第一歩のように 

思いますし、

生涯、その基礎から逸脱することは

絶対にあるべきでないことでしょう。

感謝です。

Sugar

William さんのコメント...

Sugarさん

コメントありがとうございます。

愛すべきもぷぷさんからはお話しを伺っています。

「その基礎から逸脱することは

絶対にあるべきでないことでしょう」

本当にそうですね。アーメンです!