2007年11月30日金曜日

ばらの家族


2週間ほど前にJOYに買ったバラがまだ元気に咲いている。でも一輪はドライフラワーみたいになった。まるでばらの家族みたいだ。

2007年11月28日水曜日

自分の内に住まわれる主に信頼する


自分をも人をも信頼できなくなったとき、一体どうすれば良いのでしょうか

自分の内に住まわれる主に信頼してください

あなたの魂が絶望の淵に落ち込むとき

自分を責めないでください

なぜなら、主もそこを通られたからです

あなたの内に住まわれる

主と共ににカルバリに赴き

あなたの内に住まわれる

主とともに十字架にかかり

主とともに死んでください

そうすれば

静けさの後

復活の主があなたの内で

甦られるのです

by an unknown poet

2007年11月24日土曜日

着実な歩み

自分の欠点に失望しないようにしてください。隣人に対して忍耐するように、自分にも忍耐をしてください。考えすぎると、疲れてしまい、多くの間違いを犯すようになります。日常生活のすべての状況の中で祈ることを学んでください。祈りの内にあるかのように、語り、行動し、歩んでください。私達の歩みはこうあるべきなのです。

過剰に感情を高ぶらせることなく、すべてのことを行ってください。自分が一生懸命になりすぎていると感じたら、すぐに神様の御前で静まってください。神様があなたの内側に何かを促されるとき、耳を傾け、神様が導かれるままに行動してください。このようにするならば、あなたの口数は少なくなりますが、あなたのことばはより効果的になります。あなたは落ち着きを保ち、より多くの善きことを成し遂げられます。

私は、理屈で物事を考えることを言っているのではありません。ただ単純に、主が自分に何を望んでおられるか、主に尋ねてみてください。このように単純に、簡潔に主に問いかけることは、頭の中で延々と誤論することに勝ります。

神様に心を向ければ、自分の生来の強い感情からより簡単に離れられるようになります。自分の中に住まわれる主に信頼してください。あなたの生活はやがて祈りとなります。苦しみもあるかもしれませんが、その中で平安を保つことができます。

From “STEADINESS” in “The Seeking Heart" published by SeedSowers, written by Fenelon

2007年11月23日金曜日

晩秋の山行



昨日は前に勤めていた会社のTさんの誘いで、僕ら夫婦は奥多摩の御嶽山に行ってきた。

久々の山登りは、といってもケーブルカーで山頂近くまで行き、階段を300段ほど登って山頂に出るのだけれど、とても気持ちよかった。御嶽山は標高900m台で、決して高い山ではないが、起伏があり、周りの景色も変化に富んでいて、なかなかの名山だった。

やはり、都会をひととき離れて、自然の中に身をおくことはとても必要なことだ。また今回参加したメンバーとの交流もとても楽しく、魂が癒される一日だった。

2007年11月20日火曜日

もぷぷさん

最近もぷぷさんという謎の人物がこのブログにコメントを書いてくれている。

とりあへず、コメントを書いてくれるのはとても嬉しい。

一体どういう人なのだろうか。

コメントを見る限り、とても熱い信仰に持ち主だ。

2007年11月13日火曜日

ささやかなプレゼント



今日は7時半に会社を出ることができた。

ちょうどJOYも東京に用事があったので、中目黒で待ち合わせ、一緒に帰ることができた。

横浜に着いて、東横線からJRに乗り換えようとしたところで、急に花を買いたいという思いが沸き起こってきた。そして、AOYAMA FLOWER GARDENという花屋に行き3本のバラを買ってJOYに渡した。

そのバラがこの写真のバラである。

2007年11月12日月曜日

夫婦喧嘩は水を刀で切るようなもの

久々の夫婦喧嘩勃発!

勝敗は如何に....

昨日教会の集まりで、うちが夫婦喧嘩中であることを察した韓国人のSさんが韓国のことわざを教えてくれた。

夫婦喧嘩は水を刀で切るものようなもの

Sさんが言うには、刀でスパッと水を切っても、切った痕跡は残らないとのこと。そのように、夫婦は喧嘩をしても、結局またひとつになってしまい、「切った」痕跡は残らないようだ。

このことばに励まされ、第2ラウンドに臨んだが、結果は散々だった....奥さんは強かった!

しかし、僕たちも今朝和解し、そしてJOYがまたやさしいJOYに戻ってパンケーキをつくってくれた。北海道で買ってきてくれた骨付きソーセージも一緒に食べて、とてもおいしかった!

今日はなぜか仕事もとても集中できて、早く帰ってきて、一緒にまた「いふり湯」に行くことができた。

2007年11月10日土曜日

ああ主よ

主よ

わたしの魂は

台風の日の海の波のように

激しく揺れ動きます

ああ主よ

人々の中で

私の魂は

疲れきり

渇ききっています

ああ主よ

私の中には

ゆるせない思いと

怒りと

苦々しさが

根を張り

自分ではどうにもすることができません

ああ主よ

でも

あなたを賛美するとき

私の霊は引き上げられ

あなたの御名を呼び求めるとき

私は救われます

ああ主よ

自分を見たとき

そこには何も希望はありません

でも

あなたを見上げるとき

そこには

永遠があり

復活の希望の光が

やさしく差し込んできます

そしてもう一度地上に目を向けたとき

もう一度気づくのです

何と多くの祝福が

私を取り巻いていたことでしょうか

ああ主よ

自分に対する失望は変わらないかもしれません

しかし

あなたに対する賛美と

私の中に住まわれる神の御子に対する信頼は

永遠に変わることはありません

written by an unknown poet

2007年11月5日月曜日

超不人気ブログとちょっと人気ブログ

この前ブログにカウンターをつけてみました。

そして判明したことは...

ほとんど誰もこのブログを訪れていないことだった!カウンターは今3となっているけれど、それは全部自分のアクセスだった!

まあ、あまり更新していないもんな。

JOYのブログは毎日5人くらい訪れているみたいだ。

一体どんな人が読んでいるのだろうか。

確かに、JOYのブログはおもしろいもんな。僕も愛読者の一人です。

しかし、この超不人気ブログも誰か読んでくれ!

十字架の道を一体誰がいくことができましょうか

十字架の道を一体誰がいくことができましょうか

私には到底いくことのできる道ではありません

その十字架の重さを想像しただけで私は失神しそうです

しかし私には今この十字架に道以外に

道はないのです

十字架の道を一体誰がいくことができましょうか

それは主よ

ただあなただけです

そして

私の中に住まわれるあなたが

あの重たい十字架を担ぎ上げ

ゴルゴダの丘へと

一歩づつ

歩みだします

私には残されているのは

この十字架に道しかないのです

ただ

私の中に住まわれるあなただけが

この道を行くことができるのです

そして

重たい十字架を担ぎ上げ

一歩踏み出したとき

死線の向こう側から

澄み切った空の朝焼けのように

漏れてくる復活の栄光の光が

私に力を与えるのです

written by an unkown poet

2007年10月27日土曜日

「いふり湯」


このブログを更新するたびに、仕事が忙しいということを書いているので、また書くのも嫌なのだが、実際のところ忙しい状態が続いている。
 
このブログを果たして読んでいる人がどれだけいるのかわからない(少なくとも一人は愛読者はいるけれども)のだが、更新されるたびに仕事が忙しいと書いてあるのを見て、ため息が出るかもしれない。
 
なぜ、この国の人々はこれほど忙しいのだろうか....
 
しかし、この国の労苦多き人々にも、昔ながらの癒しの場が地域にある。
 
それが「銭湯」だ。
 
結婚してから、ひとつの楽しみは、妻と一緒に銭湯に行くことである。
 
駅から歩いて5、6分のところに「いふり湯」はある。いや、本当は「いなり湯」と読むのだが、僕とJOYはひらがなの古い表記が読めずに、少し変わった名前だなと心のどこかで思いながら、ずっとこの銭湯を「いふり湯」と呼んでいた。
 
実は、「いふり湯」とてもすごい銭湯なのだ。
 
今どきのスーパー銭湯のようにあらゆる種類の最新型のお風呂やサウナがあるわけではないが、何と銭湯であるのに温泉が湧いているのだ。その黒湯という温泉は、高温に沸かしてあって、入るたびに体の心まで暖まり、一気に血の巡りがよくなるのを感じる。
 
僕は大抵、バブルジェットバスに2回くらい入り、そして黒湯に3回くらい入る。そうすると、体中の疲れが一気にほぐれて抜けていくのを感じるのだ。
他にも、「いふり湯」のファンは地域に多いらしく、多くの疲れた人々、重荷を背負ったような人々がゆっくりと湯につかりににくる。
 
特に刺青の入った人を断る看板もないので、刺青の入った人も気兼ねなく来れる。最近はどこのスーパー銭湯行っても、お断りの看板があるので、こうした誰でも受け入れる銭湯はきっとありがたいことだろう。
 
脱衣する場所には、マッサージチェアがおいてあるのだが、僕はずっとそれは100円するだろうと思って使っていなかった。しかし、この前、実は10円であることに気づいた。それから、いつもお風呂を出た後、マッサージチェアに座り、腰や肩をもんでもらっている。これがまたとても気持ちいい。
 
そして新聞とか雑誌を読んでいると、番台のおじさんかおばさんが「おかえりですよ」と呼びかけてくれる。そう、JOYが出るときは、番台のおじさんかおばさんが知らせてくれるのだ。
 
いつも銭湯に入るときも、僕が番台のおじさんかおばさんに二人分の料金を払う。だから夫婦で来ていることはわかってもらっているのだ。
 
JOYはいつもお風呂から出ると、とてもすっきりした顔をしている。もう顔なじみのおばあちゃんとかがいて、少しおしゃべりするみたいだ。女性はすぐに打ち解けるからすごいな、と思う。男風呂では、みんな黙々と体を洗い、湯船につかる。
 
今週は疲れがかなりたまってきた木曜日に仕事を少し早めに切り上げ、駅でJOYと待ち合わせて、「いふり湯」に行った。そして、疲れが芯から抜ける思いがした。特に黒湯の威力はすごい。夜はよく寝て、次の日すっきりして仕事に行くことができた。
 
僕たち夫婦のささやかな癒しの場、それが「いふり湯」だ。そして、きっと妻と一緒にいくからまた楽しいのだろう。

2007年10月13日土曜日

試練の中の慰め

あなたが今通っている試練に私は深く共感しています。主の御前にあなたを心尽くして委ねます。あなたがイエス・キリストの苦しみに与るとき、彼の忍耐と従順も経験することを祈ります。

あなたが単純に、誠実に主を求めるとき、主はいつもあなたの近くにおられます。主は困難なときにあなたを支え、慰めてくださいます。落ち着いて信頼してください。

イエスは、盲人の目に粘土を塗ったとき、こう言いました。「行って、シロアムの池で目を洗いなさい。」シロアムの池は、平穏で静かな水面です。キリストが与える揺るぎない平安をあなたに経験してほしいです。あなたが小さな子供のように単純になることを祈ります。イエス・キリストに最も近づく者は子供です。イエスは子供を腕の中で抱き、膝の上にのせます。子供のようになることは、何と美しく、素晴らしいことでしょうか。今経験している苦しみを通して、あなたが子供のようになり、父の御心に従順になりますように。

From "Comfort in Trails" in "Jeanne Guton Speaks Again", The SeedSowers

2007年10月8日月曜日

ぶらっと浜辺 Ⅱ

この2週間ほど、仕事がとても忙しかった。

僕は、
実は仕事でビデオカメラのマニュアルの外国語版制作に携っているのだが、最近予定がころころ変わってしまい、短期間で外国語版マニュアルを制作せざる得ない状況となった。それに加えて、社内で人事の異動などがあり、やや混乱した状況の中で仕事をしていた。先々週は10時ごろまで仕事する日が続き、先週は月曜と火曜は何とか7時半ごろまでに会社を出れたが、水曜日からはまた遅くなってしまった。金曜日は11時半過ぎまで仕事をし、会社の戸締りをした。

JOYによると、僕は水曜日ごろから笑顔がなくなったらしい。家に帰っても、良い夫を演じて楽しい話をすることができず、仕事の愚痴ばかりを零してしまった。JOYも一生懸命に聞いてくれて、いろいろとアドバイスをしようとしてくれたのだが、僕はそのアドバイスが逆に負担となってしまい、JOYは本当に自分の状況を理解してくれていないと思い、心がふさぎこんでしまった。これもずいぶんと甘えた態度なのだが...

土曜日、午前中は寝込んでしまった。しかし、JOYと思いを伝え合うことができた。僕は、JOYのアドバイスが逆に負担になってしまったこと、そしてJOYは僕のことが心配で何とか解決を探していたことを、お互いに率直に伝えることができた。そして、やっと再び心を通い合わせることができた。

午後1時ごろ起きたのだろうか、JOYがパンケーキをつくってくれて、そしてソーセージも焼いてくれた。目覚めのコーヒーと一緒にとても充実した遅めの朝食だった。次第に魂が回復していくのを感じた

そして、何だかボーッとしているうちに4時ごろになってしまった。午前中まだ布団の中にいたとき、海に行きたいという思いが沸き起こってきたのだが、その思いが再燃してきた。そして僕らは4時半ごろ家を出て、海へと向かった。

海に着いたころにはもう暗くなってしまっているのではないかという焦りも心にいただきながら、僕らは京浜東北線と横須賀線を乗り継ぎ、葉山の海岸へと向かった。ようやく逗子駅に到着し、バスに乗った。しかし、バスに乗ってから、海岸沿いを走る路線ではなく、内陸(というと大げさだろうか)を通り、葉山の御用邸前に出る路線であることに気づいた。パスの中はなぜかとても込んでいた、道も込んでいたので、少し焦りがあったが、どうせこの路線で行くなら、長者ヶ崎まで行こうと決め、JOYも同意してくれた。

バスが御用邸の前を左折し、しばらく走ってから、右手に視界が開け、海が見えた。ちょうど日が落ちたばかりだったが、太陽の残光が海と空の境界線を真っ赤に染め、真ん中に富士山の美しいシルエットが浮かび上がっていた。この景色が見えたとき、バスの中で、わあきれい、という歓声があがった。混雑を抜け出して、ようやく見えた景色だっただけに、感動も大きかった。

僕らは長者ヶ崎前で降りて、そして海岸に向かった。

実は、ここは僕らにとって思い出のある場所でもあった。まだ付き合い始める前、いつも僕らを見守ってくれるA夫妻とEさんと一緒に訪れたことがあった。当時お互いを意識していた僕らは、3人をおいて、二人で一足先に海辺に向かった。そのとき、僕は砂浜にある滑らかな石を拾い、海に向かって投げて、石が水面を跳ねるのををJOYに見せようとした。

日が落ちた後の静かな浜辺で僕らは散歩し、そして暗くなってからも波の音を聞いたり、星を見たりして過ごした。葉山海岸には、所々松の木と芝生が生えたようなところもあり、そこでもしばらく横になって星を見上げた。

帰りは、小さなイタリアンレストラン、FATTYSに寄って食事をした。とてもムードの良いお店で、JOYがお気に入りのレストランだ。

また思い出に残る一日ができた。


神様と妻の愛、そして自然のやさしさの中で魂が癒される一日だった。

JOY、ありがとう。楽しかったね!


そして、空と海と風と星をつくられた天のお父様、ありがとうございました!



 主は私を緑の牧場に伏させ、
 いこいの水のほとりに伴われます。

 主は私のたましいを生き返らせ、
 御名のために、私を義の道に導かれます。
 (詩篇23篇3,4節)