地が震え、汚染されたこの時代
天が崩れ落ちる予兆を見たこの時代
私たちは何を望みとして生きればよいのか
私たちの望みは
再び来られる神の御子キリスト
私たちの生きているこの時代は
神の御子の再臨を待ち望む時代
だからこそ
絶えぬ望みを抱く私たちは
この地に住む間
もっとも小さき者を愛し
もっとも小さきことをおろそかにすることなく
慎ましく
そして
喜びをもって天を見上げ
生きていくのです
2012年1月1日日曜日
2011年11月7日月曜日
40才になりました
11月4日で40才になりました。
それで、このブログのタイトルも「40代の呟き」に変えてみました。
いろいろと書きたいことや、呟きたいことは沢山あるのですが、今までなかなかそういったことがうまくまとまらず、あまり書いてきませんでした。
でも、40才になったことをきっかけに、あまりかっこつけずに素直の思うところを書いてみようと思います。
仕事は、相変わらず猛烈に忙しいです。
僕は、翻訳会社に勤めていて、いわゆる「ローカライズ」という仕事をしているのですが、一言でいうと、電子機器の取り扱い説明書の外国語版を制作しています。
今某社のビデオカメラの取説を19言語分担当しています。
19言語を扱う、というのは実はとても不可能なことなのです。
ここ最近は、帰宅するのが毎日深夜過ぎ。休日や土曜日も出勤します。
本当に忙しいです。もちろん、世の中にはもっと忙しい人もいるし、その反対にもっと楽している人もいます。
ただ、思うのは、やはり家族と過ごす時間が犠牲になることはよくない、ということです。
このように残業続きだと、家族にも大きな影響を及ぼします。ウチは子供がいないのですが、毎日深夜過ぎに帰宅する夫を待つのは妻にとっても大きな負担です。
せめて、週に2、3回は妻と一緒にご飯を食べられる時間に帰宅できることがささやかな願いです。
今のこうした生活からどのように抜け出せるのか、僕もまだわかりませんが、きっと主がそのような道も開いてくださるでしょう。
もちろん、今の猛烈な忙しさも決して無駄ではないと思います。
でも、いつかはこの異常な働き方に終止符を打ち、家族ときちんと時間を過ごす生活を送れるようにしなければならないと思っています。
それで、このブログのタイトルも「40代の呟き」に変えてみました。
いろいろと書きたいことや、呟きたいことは沢山あるのですが、今までなかなかそういったことがうまくまとまらず、あまり書いてきませんでした。
でも、40才になったことをきっかけに、あまりかっこつけずに素直の思うところを書いてみようと思います。
仕事は、相変わらず猛烈に忙しいです。
僕は、翻訳会社に勤めていて、いわゆる「ローカライズ」という仕事をしているのですが、一言でいうと、電子機器の取り扱い説明書の外国語版を制作しています。
今某社のビデオカメラの取説を19言語分担当しています。
19言語を扱う、というのは実はとても不可能なことなのです。
ここ最近は、帰宅するのが毎日深夜過ぎ。休日や土曜日も出勤します。
本当に忙しいです。もちろん、世の中にはもっと忙しい人もいるし、その反対にもっと楽している人もいます。
ただ、思うのは、やはり家族と過ごす時間が犠牲になることはよくない、ということです。
このように残業続きだと、家族にも大きな影響を及ぼします。ウチは子供がいないのですが、毎日深夜過ぎに帰宅する夫を待つのは妻にとっても大きな負担です。
せめて、週に2、3回は妻と一緒にご飯を食べられる時間に帰宅できることがささやかな願いです。
今のこうした生活からどのように抜け出せるのか、僕もまだわかりませんが、きっと主がそのような道も開いてくださるでしょう。
もちろん、今の猛烈な忙しさも決して無駄ではないと思います。
でも、いつかはこの異常な働き方に終止符を打ち、家族ときちんと時間を過ごす生活を送れるようにしなければならないと思っています。
2011年6月27日月曜日
最も深い闇の中で
「地は形がなく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(創世記1章2-3節)」
神様はどんな暗いところでも、光を「在らしめる」ことができるお方です。神様が光を在らしめることのできない程の深い闇は存在しないことを、この創世記の最初の数節は示しています。ここには天地創造の前の闇があったわけですから、いわば究極の闇がありました。
人間はエネルギーをつくりだすことはできません。人間は神様のつくりだしたエネルギーによる恩恵で日々生かされています。自然の法則に逆らって人間がつくった(或いは破壊によって捻出した)エネルギーが如何に悲惨な結果に招いたかを今日私たちは見ることになりました。人間のつくったこの不自然なエネルギーは、死のにおいが充満しています。それに対して、神がつくりだすエネルギーにはいのちがあります。これは誰もが今日感じていることかと思います。
神様は、人間社会の最も暗いところにいる者の中にも光を宿らせることができます。その光は「復活のキリスト」です。復活のキリストの光は、この世が放つ光とは決定的に違います。
驚くことに、神様はご自身の光が宿るように、この世で見捨てられた人々、とるに足らない者を選ぶのです。
自分の弱さや愚かさを見るとき、そこには輝くようなものは何もないかのように感じます。そう、実際に何もないのです。しかし、この何もない私たちの中に、突如として復活のキリストは輝くのです。これは偉大な神秘です。
しかも、このことは十字架の死を通して、日常で受ける圧迫の中で、キリストと共に死ぬときに実現するのです。
人間社会の最も深い闇の象徴である十字架。この最も深い闇の中に、神様は突如光を「在らしめる」のです。
神様はどんな暗いところでも、光を「在らしめる」ことができるお方です。神様が光を在らしめることのできない程の深い闇は存在しないことを、この創世記の最初の数節は示しています。ここには天地創造の前の闇があったわけですから、いわば究極の闇がありました。
人間はエネルギーをつくりだすことはできません。人間は神様のつくりだしたエネルギーによる恩恵で日々生かされています。自然の法則に逆らって人間がつくった(或いは破壊によって捻出した)エネルギーが如何に悲惨な結果に招いたかを今日私たちは見ることになりました。人間のつくったこの不自然なエネルギーは、死のにおいが充満しています。それに対して、神がつくりだすエネルギーにはいのちがあります。これは誰もが今日感じていることかと思います。
神様は、人間社会の最も暗いところにいる者の中にも光を宿らせることができます。その光は「復活のキリスト」です。復活のキリストの光は、この世が放つ光とは決定的に違います。
驚くことに、神様はご自身の光が宿るように、この世で見捨てられた人々、とるに足らない者を選ぶのです。
自分の弱さや愚かさを見るとき、そこには輝くようなものは何もないかのように感じます。そう、実際に何もないのです。しかし、この何もない私たちの中に、突如として復活のキリストは輝くのです。これは偉大な神秘です。
しかも、このことは十字架の死を通して、日常で受ける圧迫の中で、キリストと共に死ぬときに実現するのです。
人間社会の最も深い闇の象徴である十字架。この最も深い闇の中に、神様は突如光を「在らしめる」のです。
2011年6月12日日曜日
うれしい出会い
今日の夜、妻が東京駅から高速バスに乗って東北に旅立ちました。3泊4日の短い旅となります。
いわきに夜中に着き、そこでいわきの教会のチームに合流し、車で岩手の大槌町に。避難所から仮設住宅への引っ越しのお手伝いなどもするそうです。
かねてから東北でボランティアをしてきたM姉妹と一緒に行くことになりました。僕はいろいろとあって、なかなかボランティアに行くことができないというか、主がお許しにならないのですが、妻に行く機会が与えられて、とてもうれしいです。
僕は家内を見送りに東京駅まで行ったのですが、とてもよかったのは、そこに同じく見送りに来ていた二人の韓国人のクリスチャンの青年と出会えたこと。家内とMさんを見送ってから、3人で八重洲地下街の喫茶店に入ったのですが、いろいろな交わりをもつことができました。
今回の日本の震災を取材していて、ビデオを制作しているSさん。もう一人は日本に留学している大学生で、既に被災地も訪れているMJさん。二人とも、今回の日本の震災に対して深い思いがあり、いろいろなかたちで関わりをもつように導かれているようです。
思いもよらず、クリスチャンの兄弟姉妹との交わりに導かれたときは、いつもそこに大きな喜びがありますね。世代や国は違っていても、深いところでキリストにあって同じ思いを共有できるからです。普段自分が生きている小さく狭い世界から解き放たれて、より広い場所へと導かれるような感じです。
以下にSさんが制作したビデオがあるので、よかったら是非見てください。若いクリスチャン達のとてもすばらしい証があります。
いわきに夜中に着き、そこでいわきの教会のチームに合流し、車で岩手の大槌町に。避難所から仮設住宅への引っ越しのお手伝いなどもするそうです。
かねてから東北でボランティアをしてきたM姉妹と一緒に行くことになりました。僕はいろいろとあって、なかなかボランティアに行くことができないというか、主がお許しにならないのですが、妻に行く機会が与えられて、とてもうれしいです。
僕は家内を見送りに東京駅まで行ったのですが、とてもよかったのは、そこに同じく見送りに来ていた二人の韓国人のクリスチャンの青年と出会えたこと。家内とMさんを見送ってから、3人で八重洲地下街の喫茶店に入ったのですが、いろいろな交わりをもつことができました。
今回の日本の震災を取材していて、ビデオを制作しているSさん。もう一人は日本に留学している大学生で、既に被災地も訪れているMJさん。二人とも、今回の日本の震災に対して深い思いがあり、いろいろなかたちで関わりをもつように導かれているようです。
思いもよらず、クリスチャンの兄弟姉妹との交わりに導かれたときは、いつもそこに大きな喜びがありますね。世代や国は違っていても、深いところでキリストにあって同じ思いを共有できるからです。普段自分が生きている小さく狭い世界から解き放たれて、より広い場所へと導かれるような感じです。
以下にSさんが制作したビデオがあるので、よかったら是非見てください。若いクリスチャン達のとてもすばらしい証があります。
2011年5月22日日曜日
休み
このところ、仕事で猛烈な忙しさが続いていました。
先週は終電近くまで仕事する日が大半で、毎日膨大なメールの数を処理し、関係会社からも何度も電話が掛かってくる中、何とか情報をすべてまとめて指示を出すために、ずっとパソコンに張り付いている状態でした。
20日の金曜日に一応納品が終わり、土曜日は自宅のパソコンからリモート作業でデータの整理を行い、ようやくひと段落しました。
実は、今週からしばらく休みをもらえることになったのです。恐らく明日出勤していろいろと見積もりを回収したり引継ぎを行った後、残り一週間は休めるかもしれません。
これは本当に大きな恵みです。休みの間は、妻と一緒にゆっくりしようかと思っています。
先週は終電近くまで仕事する日が大半で、毎日膨大なメールの数を処理し、関係会社からも何度も電話が掛かってくる中、何とか情報をすべてまとめて指示を出すために、ずっとパソコンに張り付いている状態でした。
20日の金曜日に一応納品が終わり、土曜日は自宅のパソコンからリモート作業でデータの整理を行い、ようやくひと段落しました。
実は、今週からしばらく休みをもらえることになったのです。恐らく明日出勤していろいろと見積もりを回収したり引継ぎを行った後、残り一週間は休めるかもしれません。
これは本当に大きな恵みです。休みの間は、妻と一緒にゆっくりしようかと思っています。
2011年4月24日日曜日
すべての希望は主イエスに!
最も困難で不可能なもの。
それは、「自分」ほかならないことを、ここ数日痛感させられています。
自我の塊のような「自分」。罪に簡単におびき寄せられる「自分」。
この「自分」を見れば見るほど、暗闇の中に沈んでいきます。しかし、その暗闇の淵から目を上げて、主イエス・キリストの十字架の死と復活を見るとき、そこには、この「自分」を完全に呑み込んでしまうような栄光の輝きがあります。
この「自分」は主イエスと共に十字架につけられ、そして、主イエスと共に生きるものとされた。
これは何と素晴しいことでしょうか。
この「自分」にはまったく希望はありませんが、主イエスにはすべての希望があります!
2011年4月17日日曜日
心を裂いて祈る
最近ずっと心に突き刺さっている聖書のことばがある。
主は言われる、
「今からでも、あなたがたは心をつくし、
断食と嘆きと、悲しみとをもってわたしに帰れ。
あなたがたは衣服ではなく、心を裂け」。
あなたがたの神、主に帰れ。
主は恵みあり、あわれみあり、
怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、
災いを思いかえされるからである。
(ヨエル書2章12-14節、口語訳)
今、日本の歴史が始まって以来の未曾有の艱難の中、クリスチャンにはまさに心を「裂いて」祈ることが求められているのだと思う。
主は言われる、
「今からでも、あなたがたは心をつくし、
断食と嘆きと、悲しみとをもってわたしに帰れ。
あなたがたは衣服ではなく、心を裂け」。
あなたがたの神、主に帰れ。
主は恵みあり、あわれみあり、
怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、
災いを思いかえされるからである。
(ヨエル書2章12-14節、口語訳)
今、日本の歴史が始まって以来の未曾有の艱難の中、クリスチャンにはまさに心を「裂いて」祈ることが求められているのだと思う。
2011年4月5日火曜日
Wさんの訪問
今日はWさんが突然昼に会社を訪れてきた。Wさんは僕が勤めている会社の元従業員で、かつてDTPスペシャリストとして働いていた。今はホテルで洗い場の仕事をしている。
60歳近い年齢で、若い人のスピードにはついていけず、また外国人でもあるために日本語にハンデがあった。Wさんの立場があまりにも弱すぎた。会社の業績が下降線をだどったとき、無情にもリストラの対象になってしまった。2年前のことである。
昨日電話をもらっていたが、まさか会社まで来るとは僕も思っていなかった。Wさんが会社に姿をあらわすと、かつての同僚達が集まって大変喜んでいた。Wさんは大変な人気者だったのだ。
ひととおりみんなに挨拶したあと、僕はWさんと中目黒川沿いへ散歩しに行った。七分咲きの桜を愛でながら、ジュースを飲んでイカ焼きを食べ、いろいろと話をした。
いろいろと会社も揺さぶられている中、僕も今日は妙に気が塞いでいたので、Wさんの突然の訪問はとても大きな恵みであり、慰めだった。
みんなも、たくましく、しかし柔和に生きているWさんにきっと励まされたのだと思う。
60歳近い年齢で、若い人のスピードにはついていけず、また外国人でもあるために日本語にハンデがあった。Wさんの立場があまりにも弱すぎた。会社の業績が下降線をだどったとき、無情にもリストラの対象になってしまった。2年前のことである。
昨日電話をもらっていたが、まさか会社まで来るとは僕も思っていなかった。Wさんが会社に姿をあらわすと、かつての同僚達が集まって大変喜んでいた。Wさんは大変な人気者だったのだ。
ひととおりみんなに挨拶したあと、僕はWさんと中目黒川沿いへ散歩しに行った。七分咲きの桜を愛でながら、ジュースを飲んでイカ焼きを食べ、いろいろと話をした。
いろいろと会社も揺さぶられている中、僕も今日は妙に気が塞いでいたので、Wさんの突然の訪問はとても大きな恵みであり、慰めだった。
みんなも、たくましく、しかし柔和に生きているWさんにきっと励まされたのだと思う。
2011年3月26日土曜日
この地上で最も安全な場所
「主はいつくしみ深く、
苦難の日のとりでである。
主に身を避ける者たちを
主は知っておられる。」
(ナホム書1章7節)
この地上で最も安全な場所、それは主ご自身ほかならない。
「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。
あなたは、その翼の下に身を避ける。
主の真実は、大盾であり、とりでである。
あなたは夜の恐怖も恐れず、
昼に飛び来る矢をも恐れない。
また、暗やみに歩き回る疫病も、
真昼に荒らす滅びをも。」
(詩篇91編4-6節)
このとき、主の下に身を避ける人は本当に幸いです!
苦難の日のとりでである。
主に身を避ける者たちを
主は知っておられる。」
(ナホム書1章7節)
この地上で最も安全な場所、それは主ご自身ほかならない。
「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。
あなたは、その翼の下に身を避ける。
主の真実は、大盾であり、とりでである。
あなたは夜の恐怖も恐れず、
昼に飛び来る矢をも恐れない。
また、暗やみに歩き回る疫病も、
真昼に荒らす滅びをも。」
(詩篇91編4-6節)
このとき、主の下に身を避ける人は本当に幸いです!
2011年3月13日日曜日
堅固なる岩
神はわれらの避け所また力である。
悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変わり、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、
そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。
(詩篇46篇1-3節)
キリストは堅固なる岩。ここに立っている限り、天地が揺れ動こうと、恐れる必要はありません。
.............................
11日の14時半ごろだったのでしょうか、私はオフィスにいました。地震の後、社員のみんなと一度避難所の公園に行き、それから会社から解散してよいとの知らせがあったので、またオフィスに戻り、荷物をとってから、横浜の自宅に向かいました。
中目黒から横浜まで歩いて6時間。途中下丸子で一度マクドナルドで休憩しました。横浜着いてから、バスに乗ることができ、11時半には家につきました。歩きながら、そういえば昔の人はみんな歩いてたんだんなあと思い、現代人が如何に足腰が弱くなったかを思わされるときでした。イエス様の時代の人だったら、軽々と徒歩で帰っていったかもしれません。但し、アスファルトの上を歩くというのは、意外とつらいものでした。山歩きとは勝手が違いました。
電話は、家内に2度つながりました。一度は地震の後。それから、次は下丸子のマクドナルドで休憩していたとき。本当に感謝でした。
私達はこの程度で済んでいますが、東北の被災地にいる方々はさぞかし想像を絶する困難の中におられると思います。日々お祈りするとともに、何が私達にできるか、模索したいと思います。
天地はやがて崩れ去るときがくると聖書には書いてあります。しかし、決して揺るぐことのない堅固な岩なるキリストにこそすべての希望があります。
悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変わり、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、
そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。
(詩篇46篇1-3節)
キリストは堅固なる岩。ここに立っている限り、天地が揺れ動こうと、恐れる必要はありません。
.............................
11日の14時半ごろだったのでしょうか、私はオフィスにいました。地震の後、社員のみんなと一度避難所の公園に行き、それから会社から解散してよいとの知らせがあったので、またオフィスに戻り、荷物をとってから、横浜の自宅に向かいました。
中目黒から横浜まで歩いて6時間。途中下丸子で一度マクドナルドで休憩しました。横浜着いてから、バスに乗ることができ、11時半には家につきました。歩きながら、そういえば昔の人はみんな歩いてたんだんなあと思い、現代人が如何に足腰が弱くなったかを思わされるときでした。イエス様の時代の人だったら、軽々と徒歩で帰っていったかもしれません。但し、アスファルトの上を歩くというのは、意外とつらいものでした。山歩きとは勝手が違いました。
電話は、家内に2度つながりました。一度は地震の後。それから、次は下丸子のマクドナルドで休憩していたとき。本当に感謝でした。
私達はこの程度で済んでいますが、東北の被災地にいる方々はさぞかし想像を絶する困難の中におられると思います。日々お祈りするとともに、何が私達にできるか、模索したいと思います。
天地はやがて崩れ去るときがくると聖書には書いてあります。しかし、決して揺るぐことのない堅固な岩なるキリストにこそすべての希望があります。
2011年3月8日火曜日
ゆえなく愛される
この前の日曜日、礼拝の後、K兄弟としばらく交わりをもつ機会があった。K兄弟は、小学校で美術教師をされていた方で、機会がある度にいろいろとお話をさせていただいている。
僕が以前このブログで書いた記事、「天の喜び」についてどう思うかと尋ねたところ、そうだね、ゆえなく憎まれるというようなこともあるけれど、ゆえなく愛されるということもあるのではないかな。例えば、妻を愛することなど、ゆえなく愛することなんだよな、と答えてくださった。
「ゆえなく愛される」。
これはいいことばだな、と思った。
理由はよくわからないけれど、でも愛されている。
御子イエス・キリストを通して、神様が私達に示された愛はかくも神秘的である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
妻が長旅(といっても一週間でしたが)から今日やっと帰ってきた。一週間「沈黙の館」と化したこのアパートの一室もまたにぎやかになった。
僕が以前このブログで書いた記事、「天の喜び」についてどう思うかと尋ねたところ、そうだね、ゆえなく憎まれるというようなこともあるけれど、ゆえなく愛されるということもあるのではないかな。例えば、妻を愛することなど、ゆえなく愛することなんだよな、と答えてくださった。
「ゆえなく愛される」。
これはいいことばだな、と思った。
理由はよくわからないけれど、でも愛されている。
御子イエス・キリストを通して、神様が私達に示された愛はかくも神秘的である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
妻が長旅(といっても一週間でしたが)から今日やっと帰ってきた。一週間「沈黙の館」と化したこのアパートの一室もまたにぎやかになった。
2011年3月2日水曜日
4千年前の祝福
使徒パウロはびっくり仰天するようなことを沢山書いている。その中のひとつに「4千年前の祝福」がある。
厳密に言うとパウロから見たら約2千年前だが、私達から見ると実に約4千年前である。その時代に生きた人に与えられた祝福が、今日生きる私達に、キリストを信じる信仰に通して与えられるのだ!
「聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによってすべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。(ガラテヤ人への手紙3章19-20節) 口語訳)」
厳密に言うとパウロから見たら約2千年前だが、私達から見ると実に約4千年前である。その時代に生きた人に与えられた祝福が、今日生きる私達に、キリストを信じる信仰に通して与えられるのだ!
「聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによってすべての国民は祝福されるであろう」との良い知らせを、予告したのである。このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、祝福を受けるのである。(ガラテヤ人への手紙3章19-20節) 口語訳)」
2011年3月1日火曜日
私はすでに死んでいる?
主人公が敵にとどめを刺した後、「お前はすでに死んでいる」という決め台詞を言い放つ漫画が大分前に流行ったが(こう書くと僕の年代が大体わかりそうだが…)、この決め台詞よりもさらに衝撃的なことを使徒パウロは書いている。
すなわち、「私はすでに死んでいる」と。
「わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉によって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。(ガラテヤ人への手紙2章19-20節 口語訳)」
キリストにある者は、すでにキリストと共に十字架につけられ、キリストと共に死んだのだ!
そして、そのことにより罪の力から解放され、キリストと共に生き、御霊によって歩む者とされたのである。
これは何年クリスチャンをやっていても、いつもびっくりさせられる偉大な神秘だ。
すなわち、「私はすでに死んでいる」と。
「わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉によって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。(ガラテヤ人への手紙2章19-20節 口語訳)」
キリストにある者は、すでにキリストと共に十字架につけられ、キリストと共に死んだのだ!
そして、そのことにより罪の力から解放され、キリストと共に生き、御霊によって歩む者とされたのである。
これは何年クリスチャンをやっていても、いつもびっくりさせられる偉大な神秘だ。
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